御 船 手  長崎市深堀町1丁目 ( 長崎県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

御 船 手  長崎市深堀町1丁目

この項は、本ブログ次を参照。場所は深堀バイパス(県道29号)歩道橋の所から右折、高架橋下を通って行く。   深堀の散策(1)長崎市深堀町1〜6丁目  https://misakimichi.com/archives/1964
中尾正美編「郷土史深堀」昭和40年刊の第五部深堀史跡篇195〜212頁による説明は次のとおり。
平幸治著「肥前国 深堀の歴史」(新装版)492〜493頁の写しも載せる。

(2)御 船 手(1丁目460)
佐賀藩海軍の施設があった処である。元来、長崎は日本の唯一の開港場であつた関係上、外国船の入港も多く従って之が警備のため、佐賀藩、黒田藩が1年交替で長崎御番の任につき、佐賀藩の当番年には本藩家老(深堀の領主)が之に当り、記録によれば寛永年中(1631年)以降である。又沖波に対して、埋立前は殿様石垣が約100m位防波堤としてあった。その左側の石垣(永江)は当時のまゝである。日本博愛社は日本赤十字社の前身で、西南の役に多数の官賊の負傷者を見て、其の必要を痛感し博愛社を創った佐野常民が、此処で日本最初の蒸気船を作った処でもあるが、その結果は芳しくなかった。

サイト「近世以前の土木。産業遺産」長崎県リストのデータに、次のとおり登載された。

深堀の御船手・跡 ふかほり
長崎市 石護岸 寛永8(1631)以降 WEB(みさき道人) 埋立により形態は改変→石垣護岸のみ残る 佐賀藩海軍の船溜/長崎警備のために設けられた 3 B