三十六のめがね橋  熊本市北区植木町清水 ( 熊本県 )

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三十六のめがね橋  熊本市北区植木町清水

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。国道3号植木町岩野交差点から県道3号へ、さらに山本小学校から県道119号に入り北上すると、三十六集落の県道右下に天満宮の鳥居が見える。

三十六のめがね橋
熊本市(北区) 人道<豊前街道>/天満宮<大清水川> 石アーチ橋 (凝灰岩) 長7.5m,S3.9m(A) 嘉永3(1850) WEB(石橋) 昭和59移築/C高欄 3 C

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,346  三十六の眼鏡橋
植木町清水
橋長:7.5m  径間:3.9m
架設:嘉永3年(1850)
昭和59年移築
植木町支所前から国道3号線を900m北上、県道3号線へ左折、4Km先右下天満宮境内にあります。
鹿央町の千田村と植木町の山本村境に架かっていたもので、三十六は小字名。

石橋の由来
「この石橋は、幕末の嘉永3年(1850)山本郡下大清水村庄屋畠山理左衛門、大清水村庄屋服部甚之助、玉名郡広村庄屋木村茂四郎、江藤又左衛門によって、村内を流れる大清水川に架橋されたもので、熊本新一丁目を起点とし、植木町味取、内村、三十六を経て本橋を渡り、山鹿町、南関町を経由して筑後、筑前、豊前小倉に至る九州屈指の入道を誇り、豊前街道の呼称で、参勤交代の道として利用された。築造以来約130年間その恩恵は実に多大なものがあった。
昭和57年の水害を契機として、今般千田川河川災害関連事業により、やむなく撤去せざるを得なくなったが、先人の偉業を偲ぶためにぜひ保存したいとの強い要望があり、県の協力を得てここに復元移築したものである。」
昭和59年3月  熊本市教育委員会