松古閑橋  大津町大字大津 室 ( 熊本県 )

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松古閑橋  大津町大字大津 室

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。県道30号大津駅前通りを北へ入ると、上井手沿いの町道に出る。上流へ進むと復元された御客屋門の先に、この橋が架かる。

松古閑橋 まつこが
(菊池)大津町 一般道/上井手 石アーチ橋 (凝灰岩) 長5.0m,S2.3m(A),幅2.5m 文政12(1829)頃 WEB(石橋) 上部C補強 2 C

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№256  松古閑(まつこが)橋
菊池郡大津町大字大津 室
橋長:5.0m  橋幅:2.5m  径間:2.3m  
昔の隅府街道

御巡検道口の松古閑橋
「ここ松古閑の『古閑』は空閑、すなわちと景色のいい静かなところいう意味で、そこに松が茂っていたということになります。古くから丘陵地帯できれいな水が湧くところで、人の生活には適したところでした。井手の北側の高みを車道が通じていますが、これは旧来の菊池往還の名残です。大正9年(1920)に上大津の下御客屋跡に下る隈府道(新道)が造られるまでは、この松古閑橋に下りる道が本道でした。
菊池往還は古く室町の頃から既に通じていたと謂われています。恐らく筑前那の津(博多)から日向宮崎へ通じる古道の一部と思われます。町内はここから中学通りを経由して陣内から岩坂・阿原目に抜けています。江戸期には幕府の巡検使が諸国の国情(年貢となる作物の出来柄)を見回るためのルートとされ、御巡検道と呼ばれました。周囲は稲作には向かない台地上の道ですし、手心を加えてもらうように配慮したのでしょうか。
松古閑橋は、その御巡検道が上井手を跨いで参勤道と交差する処に架けられた橋です。単一眼鏡橋で古書には安永8年(1779)の架設とあり、大津では古い時期の橋となりますが、時代的に新しい輪石の並びがみられ、現行の橋は後で架け替えられた可能性があります。古くから重要な交差点ですし、やはり何度か流失と架設を繰り返したものと思われます。井手の幅に合わせた小規模なアーチで、上流の光尊寺橋と同じく県北の石工の作でしょうか。今も現役で活躍していますが、数少ない古い石橋の一つであり、町の歴史を物語る重要な建造物として町文化財に指定しています。
対岸の坂道を登る途中に、地蔵様があり、古書によれば町の地蔵祭の発祥地の一つとされています。その近くには、古くからの祠や神社があり、古くからの人の暮らしが感じられる地域です。」
平成21年10月1日 大津町教育委員会