光尊寺橋  大津町大字大津 ( 熊本県 )

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光尊寺橋  大津町大字大津

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。県道30号大津駅前通りを北へ入ると、上井手沿いの町道に出る。上流へ進むと復元された御客屋門、松古閑橋の次に、この橋が架かる。

№257  光尊寺橋
菊池郡大津町大字大津
瀬田上井手
橋長:6.2m  橋幅:2.1m
架設:文化12(1815)年
大津町役場前を東へ約300m進み、法務局前を左折、130m先の上井手沿いに左折。100m先に架かっています。

上井出(堀川)と光尊寺橋
「熊本藩主加藤忠広は父清正の遺志を継いで元和4年(1618)堀川の開削に着手、瀬田鍋倉の瀬に取入口を設けて多くの難所を排除しつつ工事を進めましたが、寛永9年お取潰しにより中断しました。かわって藩主となった細川忠利が遺業を継ぎ、寛永13年(1636)工事を再開、次代光尚により坪井川まで全長約24Kmの『上井手』(菊陽町原水玄蕃橋より下流は『堀川』と云います)が完成。大津・菊陽・合志の原野は、約460haもの広大な穀倉地帯に変容していきました。このことは肥後3大御倉の1つ大津御倉が置かれたことが如実に物語っています。
以来上井手に沿って集落が形成され『塘町筋』と呼ばれ、物資集散の場所として大津手永の会所の所在地として政治経済の中心地となり、また参勤道(豊後街道)の宿場町として繁栄を続けました。上井手の本流や用水を配る分流には、水流を利用した水車が往時20余輸を数え、精米・製粉・製材等の動力源として地域産業発展の基礎となりました。後に米粉加工による郷土銘菓銅銭糖の誕生をみることにもなります。
北岸の光尊寺は、承応2年(1653)に藩主綱利により宿駅安定のために開基された古刹です。また、その山門に架る光尊寺橋は、文化12年(1815)架設で上井手に現存する石橋の中でも貴重な単一眼鏡橋として町文化財に指定されています。古い親柱に『山鹿郡下内田村石工』と刻んであり、県北山鹿市鹿本町下内田にいた石工集団が造った橋であることがわかります。街並の歴史を感じさせる界隈です。」
平成21年10月1日 大津町教育委員会

堀川(上井手)
「史蹟 堀川(上井手) 加藤忠広公は父清正公の遺志を継いで元和4年(1618)堀川の開墾に着手、瀬田鍋倉の瀬に取入口を設けて幾多の難所を排除しつつ工事を捗めた。しかし寛永9年没封国除となり、かわって入国した細川忠利公がその遺業を継ぎ、寛永13年(1636)工事を再開、次代光尚公により坪井川まで全長約24kmの堀川が完成。原野変じて大津穀倉地帯の基が礎かれた。このことは肥後三大御倉の一つ大津御倉が置かれたことが如実に物語っている。
以来堀川に沿って集落が形成され大津手永会所の所在地として政治経済の中心地となり、また参勤道の宿場町して繁栄を続けた。往時堀川には流れを利用した水車が20余輪を数え、後に米粉加工による郷土銘菓銅銭糖の誕生をみることになる。当光尊寺は承応2年(1652)に開基された古刹で山門に架る石橋は文化12年(1815)架設で堀川に現存する石橋の代表的な一つである。」
大津町教育委員会