小さな石の桁橋  烽火山番所谷と蚊焼松尾橋

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小さな石の桁橋  烽火山番所谷と蚊焼松尾橋

石橋には、アーチ型に石組みしたアーチ石橋と、数本の石柱をただ横にして渡した桁橋というのがある。石橋に関するHPを見ると、この石の桁橋にも関心を持って訪ね歩いている方がいる。調査の対象となるのは、もっぱら長大な橋であろう。
ここに紹介する桁橋は、恥ずかしいほどの小橋。路地裏探検のラビリンスの部類となるが、少し記しておきたい。

烽火山番所谷にある小さな小橋は、長崎街道歩きの江越先生が今年春、見つけられた。烽火山ののろし台が廃止されてから、永年歩かれていない番所道を「長崎市史」の記録から探し出し、その折にこの谷の小沢に石橋が架かっていることがわかった(橋画像は青田氏から)。
後の蜀山人、長崎奉行所支配勘定役大田南畝も烽火山に登って漢詩を詠んでいる。別項のとおり山頂に「南畝石」があった。この番所道を歩いたのだろう。
話を聞いたときアーチ型の小橋かと思ったが、桁橋だったから少し残念に思った。同じような小橋は、城の古址道を健山との鞍部近くまで来て山腹の竹林に入ったとき、もう1つを見る。こういった石まで運んで道を造っていることは、由緒ある道だった証拠でないだろうか。

前の三和町、蚊焼町松尾にある「松尾橋」は、町中にあるそれこそ今風コンクリートの小橋。近所だから気にとめていた。橋に似合わず、大きな銘柱をつけていた。
写真を撮りに行き、よく見た。銘柱の寸法は25cm角、高さ70cm。橋から少し下に立ち、刻面は4面。「松尾橋」が2面、後は「第五支部」「昭和六年七月」とある。橋は巾2m、長さ1.9m。
国土地理院明治34年旧版地図を見ると、ここは往時の「みさき道」から分かれ、蚊焼の浜へ下る里道となっていた。橋、銘柱ともコンクリート製。石橋と言えないが、古い時代を偲ばせ、もの珍しい橋と感じた。