秩父が浦公園 島原市秩父が浦町
島原半島ジオパーク公式サイトによる説明及び現地説明板は、次のとおり。
島原外港から行くと、国道251号に案内標識がない。がまだすロード入口の1つ手前から黄線のとおり左折。「民宿 浪速」の前を通って、枝分かれの道を左へ進むと秩父が浦公園である。
◇秩父が浦公園
1792年大崩壊した眉山の山体は、一気に有明海に突っ込み、多数の島々と津波を生じさせました。秩父が浦公園では、海食により山体の残骸(流れ山)の内部を観察することができます。
大きな災害の結果として生じた流れ山は、現在は風光明媚な景観を作ったり、天然の漁場や港として活用されています。
1792年、島原市の西にそびえる眉山は、雲仙普賢岳噴火の最末期に頻発した大きな地震によって崩壊しました。崩壊した土砂は岩屑なだれとなって、当時の 島原の町の南側を埋め尽くしただけでなく、一気に有明海に突っ込んで大きな津波を発生させました。この津波は対岸の肥後の国(熊本)にも押し寄せ、島原半島、熊本側の双方で甚大な被害を引き起こしました。この災害による犠牲者は15000人に達し、有史以降、国内最大の火山災害となっています。
島原市仁田団地第一公園の展望所からは、山側に眉山の生々しい崩壊壁が観察出来るほか、市街地に流れ下った岩屑なだれが、無数の「流れ山」を形成している様子が一望の下に観察出来ます。また、島原市秩父が浦公園付近では、海食により流れ山の内部がよく観察出来ます。
島原半島県立公園 秩父が浦 (現地説明板)
島原港から南に延びる2キロメートルの曲折に富んだ美しいこの海岸一帯を秩父が浦と呼んでいます。
古くは、柳ヶ浦といわれていましたが、秩父の宮殿下が大正14年島原においでになった折、この美しい風光を鑑賞されたのを記念して秩父が浦と改称されました。
寛政4年(1792)雲仙岳の活発な火山活動によって、島原市の背後に美しい稜線をみせている眉山が大崩壊し、大量の土砂が城下町を埋め、海中になだれこみ空前の大惨事をおこしました。
眼前に美しい姿を見せる島々がその時の名残りの九十九(つくも)島であり、眉山は今なお当時の生々しい爪あとを残しています。
秩父が浦は海の公園として親しまれ、昭和45年に島原半島県立公園に指定された景勝の地です。
俳聖高浜虚子翁は九十九島の景観をつぎのように詠んでいます。
山裂けて くだけ飛び散り 島若葉 長崎県・島原市