音無川 島原市白土湖→海
サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータ及び島原半島ジオパーク公式サイトによる説明は、次のとおり。
音無川 おとなし
島原市 白土湖→海 排水路 長約1㎞,幅3-4m 寛政4(1792)以降 WEB C護岸 寛政4の眉山大崩壊により誕生した白土湖(地下水の湧出してできた湖:日量約4万t)の水を排水するための人工河川/勾配が緩やかで、水の流れる音がほとんどしないことからきた呼称 3 B
白土湖(しらちこ)と音無川(おとなしがわ)
1792年、島原市の西にそびえる眉山は、雲仙普賢岳の噴火の最末期に生じた大きな地震によって大崩壊を起こしました。この崩壊に伴って生じた窪地に、周囲の井戸からあふれた水がたまって出来たのが白土湖です。白土湖は、現在は南北約200m、東西約70mほどの大きさがありますが、形成当時は今の約4倍に当たる、南北約
900m、東西約200mの大きさがあったそうです。
白土湖の出現により、当時の主要街道である島原街道は寸断されてしまいました。その後も水の湧出は止まらず、街道の寸断は続いたため、この水を排水するための水路が建設されました。この水路は山体崩壊が発生する前の海岸線の形にほぼ一致し、勾配が緩やかで、水の流れる音がほとんどしない事から、「音無川 (おとなしがわ)」と名付けられました。
白土湖の湖底からは現在も大量の水がわき出しており、その量は1日あたり4万トンと推定されています。明治末には、この豊富な湧水を利用した酒造所やラムネ工場が湖畔にありました。酒造所は今でも白土湖畔に軒を構えているほか、湖畔には米や野菜を洗うための洗い場も設置されており、今でも住民の生活用水の一部として利用されています。