川東の石敢當  東串良町川東

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

川東の石敢當  東串良町川東

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。柏原小学校西側の乾馬場という一帯が武家屋敷の続く通り。萩原家武家門の左側石垣下に石敢當があった。最後の写真が柏原港。

川東の石敢當 かわひがし
(肝属)東串良町 石敢當 (自然石、凝灰岩) 高57㎝,幅24㎝,厚13㎝ 元禄14(1701)? 日本の石敢當p159 下方が石垣に埋もれている/上部が一部破損 周囲の石垣から推定すると元禄14の建立となり、それが正しければ、全国で3番目に古い 3 C

辰巳屋氏HP「街並みめぐり」鹿児島県による説明は、次のとおり。石敢当の写真が「萩原宅武家門」のところにあった。

街並みの名称  柏原     所在地  東串良町川東    訪問日  平成21年5月5日
肝付川河口左側にある浦で、対岸の高山郷波見(はみ)浦とともに漁業と交易の拠点であった。柏原が貿易港、漁港として発展をみるのは柏原と唐仁との間の干拓が行われた江戸時代中期以降とされる。
伊能忠敬の「九州東海辺沿海村順」では、柏原浦は家数211軒とみえる。河口近くに浦番所が置かれており、郷士29軒は、浦役または番所の役目に就いていたとも考えられる。

萩原宅武家門(江戸前期の武家門特有の門構を今に伝える)
武家屋敷の続く通り
石敢当