肝付兼経夫妻の宝篋印塔  東串良町川東

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肝付兼経夫妻の宝篋印塔  東串良町川東

現地説明板は、次のとおり。柏原小学校西側の乾馬場という一帯が武家屋敷の続く通り。萩原家武家門のところに石敢當があったが、この通りの奥が熊野神社。宝篋印塔は境内左にある。

町指定文化財[史跡]  肝付兼経夫妻の宝篋印塔   昭和54年4月1日指定
宝篋印塔はもともと仏舎利及び宝篋印陀羅尼経を納める塔であったが、平安時代の末頃から供養碑等にこの形が用いられるようになりました。
この石塔は相輪の宝輪数その他の彫刻、形状等から鎌倉時代のものである。
更に笠石の連弁刻出は肝付氏をあらわしており相輪の文様、伏鉢の刻出は時代的に見て肝付氏二代兼経夫妻のものと言われる。
これは昭和52年に南九州古石塔研究会の黒田清光等によって発見考証された貴重な石塔であります。
東串良町教育委員会