横瀬古墳  大崎町横瀬エサイ町

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横瀬古墳  大崎町横瀬エサイ町

鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

横瀬古墳
【所 在 地】曽於郡大崎町大字横瀬字エサイ町 1427,1428
【種  別】国指定史跡
【指定年月日】昭和 18 年9月8日

大崎町役場から南へ約 3.2km,大字横瀬の平坦な水田地帯にある前方後円墳で,5世紀後半代と推定されている。全長 129m,後円部の高さ 15.4m,前方部の高さ 13m の墳丘を持つ。後円部の中心よりやや前方部よりに,竪穴式石室が露出している。過去に盗掘を受けており,鉄製直刀などが出土したといわれている。石室の葺石には花崗岩が使用されている。墳丘の北側に沿って農道があるために後円部北側は多少削り取られている。また,前方部の端には祠が祀られている。
本格的な発掘調査は行われていないが,かつて後円部から須恵器,円筒埴輪,形象埴輪(楯形埴輪など)が多数出土している。また,昭和 52,53(1977,78 年)年の試掘調査によって,周溝の存在も確認されている。古老の話によると,古墳の周辺の水田の中にも小墳丘が点在していたらしいが,現在は残っていない。おそらく前方後円墳を中心とした古墳群が形成されていたものと思われる。
前方後円墳は,わが国の特徴的な古墳の形式で,円形の墳丘と方形の墳丘が接続した形をしている。命名者は江戸時代の学者で勤王家として知られる蒲生君平である。その発生については諸説があるが,3世紀中頃に畿内で発生し,6世紀の終わり頃まで続く。県内では大隅の志布志湾沿岸に集中して分布しており,その数は 21 基にのぼる。最も古いものは志布志町ダグリ岬の飯盛山古墳であるが,近年の調査で墳丘の一部が残存しており,壺形埴輪などの出土が確認されている。