萬 福 池 いちき串木野市羽島
現地説明板は、次のとおり。水神の石碑裏は「弘化五年」と記されている。案内板等と一緒に,西郷隆盛の足跡と言われている「石」がある。サイズ?は、かなり大きい。
後ろの写真は、県道43号その先、串木野サンセットパークからの夕日。
萬 福 池
萬福池は、弘化4年(1847)11月14日薩摩藩直営の工事として始められました。
当時24歳の西郷隆盛は、薩摩藩の河川土木方の書役助として萬福池の工事に加わっています。工事は順調に進み、弘化5年(1848)3月2日に竣工し、その後、今日まで地域農業の発展に大きく寄与しています。(昭和37年には老朽化のため堤等を改修し、現在に至っています。)当時、西郷は、特に農民に理解を示し、嘉永4年(1851)には農政建向を出し、農政改善の方策ついて説いています。
西郷隆盛の農政への熱烈な魂が、この静かな池面を通して伝わってくるようです。
平成15年3月 いちき串木野市教育委員会
HP「さつまの国の言い伝え」によると、次のとおり。
2013年09月22日 萬福の池 いちき串木野市
いちき串木野市は羽島から山のほうに行くと、萬福という集落がでてきます。そこに周囲2キロほどの池があります。今回は、萬福の池にまつわる話です。
むかし、この村で何年にもわたって飢饉が起こりました。村人たちは、毎日天を仰いでは雨が降ることを祈っていました。飢饉が続くたびに、村を出て行く者が出てきました。
そこで村の人たちは、皆で氏神様に心を込めて願掛けを行いました。それから、七日目に不思議なことが起こりました。社の方から、神様の声が聞こえてきました。村人たちは、その声を聞き逃すまいと耳をすませました。
「みなの者、よく聞くがよい。明日の朝早く、この村から二キロほど北に行くがよい。そこに池を作った」
神の声を聞いた村人たちは、大喜びして朝が来るのを今か今かと待っていました。
次の日の朝早く、村人たちは神様のお告げのあった所に行ってみました。そこには、広々とした池が出来ていました。池から一筋の水があふれ出て、村の田んぼに注がれていました。そうして半日もたたぬうちに、すべての田んぼは甦りました。村人たちの喜びようといったら、ありませんでした。
不思議な事に、池の水はどんな時も水が減るということがありませんでした。それからというもの、幸福に恵まれた村の人たちは、池を「萬福の池」と呼ぶようになりました。やがて、池の近くに人が住むようになりました。そこが今の萬福なのだそうです。