ねじりまんぼ形式「戸町4丁目の石橋」を、にえもん氏が調査

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ねじりまんぼ形式「戸町4丁目の石橋」を、にえもん氏が調査

2013年10月20日、長崎市戸町4丁目で見つかったアーチ式石橋は、前の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/3791

11月4日に「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」HPの、宮崎市贄田氏(にえもんさん)が、諫早に里帰りした「諫早眼鏡橋模型」とともに、現地確認調査に来られた。
同HPによるデータは、次のとおり。「石造アーチ橋では初めて見る珍しい形式です。おそらく現時点で日本で唯一の形式。…設計者のこだわりでしょうか」との解説である。
http://5.travel-way.net/~niemon/nagasaki/nagasakihasi.html  地図上で「長崎市」をクリック
三重県「六把野井水拱橋」のコンクリートブロックによる「ねじりまんぽ」は、
http://5.travel-way.net/~niemon/siga/mieken/inabesi/hasi/roppa.html

№6,856   4.戸町の石橋  
2013.11.04

長崎市戸町4丁目13
橋幅:6.7m  径間:2.1m  拱矢:0.8m  環厚:38㎝(輪石49㎝)  輪石:8.5列

みさき道人さんから10月21日に情報を頂いていました。
斜橋です。ねじりまんぽ、見事な加工です。
三重県の「六把野井水拱橋」はコンクリートブロックによる「ねじりまんぽ」ですので、石造アーチ橋では初めて見る珍しい形式です。おそらく現時点で日本で唯一の形式。

内部。石の加工がさぞかし難しかっただろうと思います。
鉄道煉瓦アーチの「ねじりまんぽ」の技術が使われたものと思われます。
耐荷重的にねじる必要のないのにねじるのは、設計者のこだわりでしょうか。

みさき道人さんのブログより引用
「 (2013年10月31日 追記)  石橋上部の「長崎税関戸町火薬庫の歴史と標石」
2013/10/31(木) [ JOKAMOTO ] 氏コメントがあった、大蔵省関税局編「税関百年史 上巻 」日本関税協会昭和47年発行197頁は、次のとおり。
火薬庫場所は、地元松林氏の記憶によると、現在ここにある郵政職員アパートや民間駐車場一帯で、2棟の煉瓦造り平屋建物が建っていたが、大戦中はもう使用されていなかったということである。
コメントどおり、近辺には欠損した標石2本(1本は「長崎…」と刻む)が現存しているのを確認したが、火薬庫境界石とは断定できない。
税関と火薬庫との関係は、輸入品だったなら火薬類一時保管庫をここに設置したのだろうと言う長崎税関の話である。
税関の火薬庫で、私が「軍道?の橋」と説明したのは、間違いがあるようなので訂正したい。

『…火薬類の保管については、旧幕時代のものが引きつづき使用されたが、明治五年正月、西泊郷に新しく一棟が新築され、これが利用されることになった。その後、二八年五月には、西彼杵郡戸町村の岩井浦に、新しく火薬庫が新築されたので、これに移転している。…』」