高橋輝吉氏稿 「開戦1年前の伊万里湾」
以下は、佐世保市高橋輝吉氏から最近、送られてきた資料。伊万里市周辺の佐世保(長崎)要塞地帯標、佐世保軍港境域標、伊万里軍港境域標などの標石について、これまでの調査結果を5編にまとめられている。
添付資料は数が多いが、私の判断で適当に掲載した。規則・軍港境域図は、「海軍制度沿革 巻15 海軍大臣官房」原書房発行からである。
2 開戦1年前の伊万里湾 高橋 輝吉
伊万里湾が佐世保軍港から外れて何10年。開戦1年前の昭和15年、陸軍の波が起こった。前々より所望していたのか。伊万里市郷土研究会「烏ん枕」参照。新兵科、陸軍輸送部隊の暁部隊。一〇四艇造りの川南造船も伊万里にあった。
伊万里湾一帯の土地の証しとして、陸軍省は標石100本を建てた。現在、残っているのは、佐賀県側15本、長崎県側10本。この内、第二区の第一号は青島の海の中。第一区の第一号は、星鹿の山中。
星鹿には陸軍兵舎あり、黒島にも兵舎あり。星鹿では古老の話だと、4年生上の生徒は中くらいの石、煉瓦は高等科、近くの大人は大きな資材を運んだそうです。城山には海軍の潜水艦用聴音機が。石を運んだ道にも、「海」と刻む16〜133号の海軍境界石あり。多くの標石で城山を取り巻いている。展望台より見えるのは、元寇の島か、向島の第七号か、逃の浦の防塁か、血田の陸軍省第一区第二号か。
青島の岩礁地帯に、コンクリートの石柱ありと島の話。もしやと思い、行ってみた。双眼鏡で見ると、岸より130mの所。陸軍省陸軍省第二区第一号と、昭和15年6月10日の陸軍輸送港域第二区標だった。