養宜館跡  兵庫県南あわじ市八木養宜中

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養宜館跡  兵庫県南あわじ市八木養宜中

県指定文化財現地説明板は判読できない。兵庫県立歴史博物館HPの「ひょうご歴史の道」による説明は、次のとおり。
南あわじ市街の県道126号中八木交差点から北へ入ると、館跡がある。「養宜館之碑」石碑は、館跡前の車道を西へ進むと角にある。

養宜館跡(やぎやかたあと)

養宜館跡は県の史跡で、室町時代の淡路守護細川氏の居館であった。土地の人間は大土居(おどい)と呼び、守護職の館としては立派なものだと言われる。外堀の跡である帯状の水田が、鎌倉時代の築城形式を伝える。1340(暦応3)年、足利尊氏の命をうけた細川師氏が淡路に攻め入ったことをきっかけに養宜館へ入る。その子孫が淡路の守護大名として君臨するが、1519(永正16)年に淡路細川氏が事実上滅亡すると館も廃城となる。館跡の西方には、昭和2年に建立した「養宜館之碑」と記された石碑が立つ。『淡路国名所図会』には石垣や堀が誇張して描かれているが、東側の土塁や堀跡の残存状況から規模の大きな館であったことは疑う余地はなく、中世城館遺跡として貴重である。