長崎の古写真考 目録番号:5245 茂木通田上(2)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5245 茂木通田上(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:5245 茂木通田上(2)
〔画像解説〕
大正初期の茂木街道田上峠付近の絵葉書写真。田上は長崎県庁から一里、当時人家20〜
30戸、茶屋10戸ほどで蕎麦と筍が名物。旅人の休息所であり、茂木に向かう旅行者はここで旅装を整えた。田上寺、観音寺、千歳亭など旧跡も存在する。写真から人力車による旅行風景がわかる。

■ 確認結果

データベース目録番号:5245「茂木通田上(2)」の画像解説は、「大正初期の茂木街道田上峠付近」としているが、場所を特定していない。最近の長崎市茂木支所HP「茂木をたずねて」の中の「古写真をたずねて」が、この写真を調査している。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/kanko/820000/827000/p023389.html

同57頁では、撮影地を「大正初期の茂木街道転石の絵葉書写真。平口橋付近から撮影したものである」。現在の写真は「手前の橋は平口橋、写真右側の橋脚は高速道路から唐八景トンネルへ続く道路の橋脚である。平口橋の名称の由来は、この付近に「ひらくち」(マムシ)が多かったことから平口橋となったということである」と解説している。

確かに古写真は、転石から茂木へ下る旧県道つづら折りの道を撮影しているようだが、茂木支所の「平口橋付近から」とする解説には疑問がある。
「平口橋」を渡って、下から見上げているとすると、街道の道はこのように写らない。同じ高さか、対面の少し高い位置からの撮影と考えるべきであろう。背景の山の稜線も合わない。

私の調査で撮影地を探すと、昔の茂木街道から分かれ、明治18年(1885)開通した旧県道へ下る大カーブ地点に立ち、現在、ホテル「古都」が建っている直線道を見上げた写真ではないだろうか。現在の写真は、大カーブの少し手前から写している。確定したわけではないが、ここもひとつの候補地として、考えてもらいたい。
茂木支所は、地元だから表面的ではなく、深い研究をして公表をくれぐれもお願いしたい。