大正十一年頃のガラス写真 166 浦上川の白魚とり

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大正十一年頃のガラス写真 166 浦上川の白魚とり

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
166  (浦上川の白魚とり)

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号166は、「浦上川の白魚とり」の風景。背景の岩屋山の位置から、浦上川と下の川が合流する現川口町の川岸から、撮影したと思われる。
この写真は、長崎文献社「アルバム長崎百年 ながさき浪漫 写真でしのぶ明治・大正・昭和」平成11年発行の102頁にも掲載されている。

「ながさき浪漫」解説者は気付いていないが、この写真で注目するのは、対岸高台に写った白い建物。大正12年に九州初のコンクリート3階建て校舎として完成した開校当時の「城山尋常小学校」(現在は長崎市立城山小学校)の姿を撮影した貴重な写真である。
長崎原爆の被爆遺構として、現在も一部が保存されている。城山小学校も、開校当時を写したこの写真の存在を知らないだろう。
この項は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/3111