大正十一年頃のガラス写真 130 浦上天主堂

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大正十一年頃のガラス写真 130 浦上天主堂

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
130  (浦上天主堂)

目録番号:5133 長崎浦上天主堂(1)

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号130は、長崎「浦上天主堂」(長崎市本尾町)であろう。
長崎大学データベースに、目録番号:5133「長崎浦上天主堂(1)」などの作品がある。
浦上教会は、一般的には「浦上天主堂」の名で知られている。

昭和20年(1945)の長崎原爆によって破壊されたが、昭和34年(1959)に元の場所に旧天主堂の外観を模して再建された。昭和37年(1962)以降、カトリック長崎大司教区の司教座聖堂(カテドラル・大聖堂)となっており、所属信徒数は約7千人で、建物・信徒数とも日本最大規模のカトリック教会である。

昭和33年(1858)には、浦上天主堂の廃墟の一部を平和公園内に移設し、原爆遺構として保存。高さ13m、幅3mの側壁が復元。