長崎の古写真考 長崎古えはがき 杉山橋

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古えはがき 杉山橋

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI 長崎古えはがき 
中島川水車   Nakajima River, Nagasaki
古長崎101景   Nakajima River, Nagasaki
NAGASAKI GENEI 長崎手彩色古写真
a   No 238 Nakajima, Nagasaki
c   G100 NAKAJIMA-GAWA. NAGASAKI

目録番号:3802 中島川と上野彦馬邸(5)
〔画像解説〕  超高精細画像
長崎を代表する山、彦山(右側)・豊前坊(左側)を画面中央後ろに、左岸人家の手前のところに江戸時代の上水道として使用された倉田水樋の水源、常夜灯下側には日本三大聖堂の一つといわれた長崎聖堂(中島聖堂)、写真には見えないが、常夜灯左下側には、日本三大聖堂の一ついわれた長崎聖堂(中島聖堂)、常夜灯左上が上野彦馬邸(上野撮影局)に当たる。明治中期の銭屋川(中島川)の風景である。残念なことに、常夜灯は昭和57年(1982)の長崎大水害で流失してしまった。近くにある若宮神社の秋の大祭に奉納される「竹ン芸」は、境内に高さ10mの2本の青竹を立て、これに穴を開け横木を通し、狐の面を被った雄狐と雌狐に扮した二人の青年が竹によじ登り「つり下がり、大の字、さか立ち、逆さ降り」等の曲芸を「ローレンヒューヒューライローレン」の竹ン芸囃子にのって演じるものである。現在、長崎市の無形民俗文化財に指定されている。また、若宮神社は「古いお宮を若宮」と唄われ、長崎七不思議数え唄の一つに数えられている。

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

「長崎古えはがき」及び「長崎手彩色古写真」の中にある中島川の白い木橋の4点は、長崎大学データベースの目録番号:3802「中島川と上野彦馬邸(5)」に写っている橋と同じであろう。
長崎歴史文化博物館郷土資料の古賀文庫「長崎橋梁台帳」によると、橋名はないが、「明治
24年2月落成 杉山徳三郎私設ニシテ木造」とある。

明治を築いた企業家杉山徳三郎氏の邸宅がこの前にあり、私費で架けたため地元では「杉山橋」と呼ばれた。杉山氏は田上2丁目の「徳三寺」も建てられた。
現在、鉄製の人道橋「紅葉橋」が架かっている場所にあったのが、「杉山橋」である。
「ナガジン」越中先生の話に、「紅葉橋は上野彦馬が愛人の名前をつけた」とあるが、詳しくわからない。