長崎の幕末・明治期古写真考 長崎手彩色古写真 高鉾島?
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
NAGASAKI GENEI 長崎手彩色古写真
a 高鉾島?
目録番号:2922 高鉾島(14)
〔画像解説〕 超高精細画像
大型アルバムの1枚を剥がしたもので、キャプションにG42.TAKABOKO,(PAPPENBERG),NAGASAKIと印字されている。これは横浜の小川一真のアルバムからである。高鉾島の古写真は多いが、対岸の神ノ島側から撮影されたものは少ない。高鉾島は鎖国時代にキリシタンが処刑された殉教の島として外国人に知られていた。写真は、長崎市街の対岸にあたる稲佐側の神ノ島から高鉾島および現マリア観音前を写したものである。岬における海岸近傍の集落の様子がよく撮影されている。右側の海に張り付いた民家は風除けのためかすべて瓦葺きである。船は伝馬船であり、波を避けて内湾に係留されている。畑が海の傍まで切り開かれている。中央の民家は風当たりの強い岬の鼻に立てられ、階段には石段が積まれ、軒先には水甕と桶がみえる。縁側と戸口に干してあるのは穀物であろうか。このあたりは隠れキリシタンが住んだ集落で、「神」の地名が多い。背景右側は香焼島、遠景は長崎半島の山々である。目録番号4084(整理番号79-2)と同じアングルである。
■ 確認結果
「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。
「長崎手彩色古写真」aの中にある1番目の写真。右下のキャプションがわからない。 長崎のどこかの島だろう。あとで載せる女神の小島ではないようだ。考えられるのは、長崎大学データベースの目録番号:2922「高鉾島(14)」にある風景である。
神の島から四郎ケ島へ行く途中の突端か、四郎ケ島へ渡る海道あたりからなら、撮影できそうな写真である。
島の大きさに疑問があるが、奥が「高鉾島」、右側へ突き出た岩が現在、聖マリア像が建つ「ドンク岩」と考えられないだろうか。島の背後に対岸の山が写っていないのは気になる。
しかし、これは違った。今から再調査を始め、記事は後日修正したい。