武功山から烽火山へ  2013年2月

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武功山から烽火山へ  2013年2月

2013年2月17日(日)曇り。武功山から烽火山(標高426.0m)へ。大荷床から番所道を下る。参加13人。みさき道歩会の例会。
中川八幡神社9:36—武功山11:04—大荷床11:29—烽火山11:48(昼食)12:23—大荷床—番所道旧番所跡12:55—新番所跡13:10—鳴滝3丁目13:46—中川電停14:06(徒歩距離 約7km)

きょうの目的は、武功山ピーク石の刻面確認と烽火山の史跡探訪。長崎街道食違角から狗走り尾根へ上り、武功山ピークに1時間半ほどで着いた。ここは昔、お堂があったという。積み上げた石に刻字があると、陸角氏から聞いていた。
裏面を確認すると、小さな字で「徳太郎」と読めたが、文献など詳細は不明。

烽火山頂上の長崎県指定史跡かま跡は、草刈りした直後。風もなく、のんびり昼食できた。長崎市中はランタン祭りで賑わっていることだろう。
かま跡近く、長崎奉行所支配勘定役で赴任した大田南畝(蜀山人)が雄大な景色を漢詩で詠じだ「南畝石」の石碑と、烽火山十景の「飲澗亀石」を見学。

大荷床へ戻り、古書に記す旧時の正道「番所道」を鳴滝3丁目へ下る。烽火山に勤番していた時代の旧番所と新番所跡が途中に残る。当会などがこの番所道を発見、整備してから4年ほど過ぎた。久し振りに下りに歩いたが、登山者が多く利用するポピラーな道に変わっていた。
同じ南畝の鳴滝にある七面山詩碑、シーボルト記念館、鳴滝、中川橋など見学しながら、中川電停で解散した。