長崎の古写真考 目録番号:2866 諏訪神社境内(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:2866 諏訪神社境内(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:2866 諏訪神社境内(1)
〔画像解説〕  超高精細画像
長坂を上がり総門をくぐった正面から、左側に肥前有田(現佐賀県有田町)から明治4年(1871)に献納された高さ約2.7mの陶器製常夜燈、街灯、右側に明治3年(1870)奉納の青銅の馬、明治2年(1869)に再建された諏訪神社中門の風景である。中門は別名四礎門とも言われた。木造檜皮葺、流破風造りの建物で、正面には菊花紋、屋根下には「正一位諏訪三所」の扁額が掲げられていたが、写真ではみえない。中門の左右は透塀で、左右の回廊に続いている。前の広場は能馬場と呼ばれ、能舞台があったところである。諏訪神社は現在の松森神社の地に、寛永2年(1625)再興され、慶安4年(1651)現在の場所に遷宮した。この中門は延寳7年(1679)に創建され、享保3年(1734)の改修後も度々修理が行われたが、安政4年(1857)の火災により焼失した。明治2年(1869)に再建され、さらに昭和58年(1983)御鎮座360年を迎えて大改修が行われた。

目録番号:3871 諏訪神社(3)
〔画像解説〕
明治中期(1887)頃の手彩色の写真。諏訪神社参道の入り口の大鳥居と諏訪神社を見た写真。鳥居の左側に、近代的な街灯が見え、近代化しつつある長崎が分かる。秋のくんちで有名な長崎の氏神である。

目録番号:2867 諏訪神社の長坂(2)
〔画像解説〕  超高精細画像
下から順に秋の大祭の奉納踊りが舞われる踊馬場、その見物席となる73段の長坂、長坂の登り口に享保7年(1722)町年寄高木作右衛門献納の常夜灯、総門及び回廊を踊馬場入口から撮影した諏訪神社の風景である。諏訪神社は長崎の氏神さまとして市民に親しまれている。この社には、諏訪大明神、森崎大権現、住吉大明神の三社が祭られている。10月7-9日には、秋の大祭「おくんち」が行われ、京都の祇園祭、大阪の天満祭と共に日本三大祭と称される。江戸時代には、奉行所から自粛令が出されるほどの豪華さであった。天保13年(1842)には、祭礼に大金をかけ、また風俗をみだす舞踊りを禁じ、全て木綿を使用させる禁止令がだされている。長坂は、市民がおくんちを無料で見物できる特等席である。また、坂本竜馬が設立した「亀山社中」の制服、白袴を模倣した白いトッポ袖の上衣を着て祭りを盛り上げる「白トッポ組」が陣取る場所でもある。

■ 確認結果

朝日新聞長崎地域版2013年1月19日付”長崎今昔 長崎大学コレクション”に、目録番号:
2866「諏訪神社境内(1)」の作品が、「諏訪神社の中門 檜皮ぶき 優雅な建物」として掲載された。新聞記事の解説で、ひっかかったのは、撮影者を推定する次のキャプションの部分。

「…写真では切れていますが、左下に「218 SUWA TEMPLE NAGASAKI」と印字されています。この番号とタイトルをイギリスの写真研究家テリー・ベネットの『日本古写真 収集者のためのガイド』に収載された作家別作品リストに照らすと、横浜の写真家で小川一真の弟子の江南信國が撮影者であることがわかります。
撮影時期は1890年代。江南は「横浜写真」と呼ばれる着色の大型アルバムに対して、小ぶりの着色写真やガラス・ランタンスライドと呼ばれた幻灯機用のステレオ・ガラス写真を得意としていました。…」

撮影者は、はたして「江南信國」だろうか。目録番号:2866「諏訪神社境内(1)」の左下に
「218」は、超高精細画像で拡大すると番号間違い。目録番号:3871「諏訪神社(3)」が、同じ写真である。左端がカットなし「A 128」が正しい。
長坂を写した目録番号:2867「諏訪神社の長坂(2)」が、「A 127」だから、その続きの写真である。場所的にもそうなる。モデルの配置・人物も同じようであるから、対比してもらいたい。

OLD PHOTOS of JAPANから、「江南信國」の作品を掲げる。キャプションの印字に区分「A」はなく、英字の書体が違う。
古写真研究の東京在住、前慶応大学教授高橋先生から、中島川の木橋の作品の研究となるが、次のような見解を聞いている。この項は、本ブログ次を参照
https://misakimichi.com/archives/3543

「私は明治25年に長崎に開業した為政写真館の撮影と睨んでいます。アルバムに為政の印があるからです。大文字のAに写真番号とタイトルをアルファベットの大文字で入れた写真が特徴で、横浜の金丸写真館と提携して長崎の風景写真をシリーズで出していました。金丸写真館の写真と番号が連続的に繋がります」

「江南写真館の写真は、ベネットの「コレクターズ・データガイド」によると、200から268までが長崎シリーズになっています。238もその中に入るかもしれません。しかし、江南のアルバムの写真はNo.無しの大文字の番号とキャプション付きですので、江南から買ってアレンジしたのかもしれません。玉村康三郎の可能性はありません」

以上から撮影者は、超高精細画像の解説どおり「上野彦馬?」かその関係者、または明治23年に長崎に開業しシリーズを出した「為政写真館」の可能性もある。
データベースの写真が小さいうえ、アルバムなどの現物を、私は見ることができない。長崎大学附属図書館及び「長崎今昔」執筆者において、これら作品の正しい研究をお願いしたい。