長崎外の古写真考 放送大学古写真 日本残像「神戸港」

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長崎外の幕末・明治期古写真考 放送大学古写真 日本残像「神戸港」

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

放送大学古写真 日本残像「神戸港」
〔画像解説〕
神戸港の開港は明治元年(1868年)。この写真は沖合いから海岸通を捕えている。居留地の商館は居住することが条約で取り決められており、二階が住居になっていた。山の手に移り住むようになったのは明治20年代に入ってからのことである。この写真は明治10年代の撮影で、まだ山の手に洋館が建っていない。 着色 21×28cm

目録番号:5668 神戸居留地海岸通り(2)

■ 確認結果

放送大学附属図書館所蔵古写真展HP「日本残像 —写真で見る幕末、明治—」大坂・神戸の中に、「神戸港」が掲載されている。
画像解説には、「この写真は沖合いから海岸通を捕えている」とあるが、撮影した場所が「沖合い」、すなわち「船上」からなのか。居留地背景の山の稜線にも少し疑問を感じる。

この作品を反転させると、長崎大学データベースに、ベアトアルバム?からとされる目録番号:
5668「神戸居留地海岸通り(2)」など数作品が、似たような山の稜線となる。
誤って反転された作品は、和船でも見た。https://misakimichi.com/archives/2843
神戸港の同じような古写真は、次を参照。https://misakimichi.com/archives/2578

六甲の山並みを写しているが、最も高い山は、「高取山」(標高328m)と思われる。
「明治二年兵庫津細見全圖 1868」など見る限り、撮影場所は神戸港の「沖合い」からではなく、反転していたら東方の神戸港に築かれた突堤あたりから、反転していなかったら西方の「和田岬」方面から、停泊する船と居留地を撮影できた作品ではないだろうか。
背景の山の稜線がポイントとなるから、地元の検証をお願いしたい。