長崎外の古写真考 目録番号:1145 神戸港(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1145 神戸港(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1145 神戸港(1)
〔画像解説〕
海からみた神戸外国人居留地の写真である。

〔画像解説〕 超高精細画像    和文タイトル: 神戸港(1)
海(船上)から眺めた神戸港。撮影は明治中期だろうか。居留地から雑居地にかけての海岸通の街並みと、その背後に六甲山系の山並みが連なる。中央の高い山は標高約320mの高取山(たかとりさん)だろう。諏訪山など高台から眺める神戸港は美しいが、海上からの眺めもまた格別である。写真が不鮮明なので建物から撮影年代を推定することは難しいが、左手の帆柱の数多く立っているところは雑居地海岸通4〜5丁目の和船の船溜りで、左に行くと神戸駅用地(現在のハーバーランド)、川崎造船所へと続く。
海上には外国人の楽しむヨットも見え、明治27年(1894)頃には外国人のヨットクラブ『Kobe Yacht Club』も組織された。六甲山系の山々は、慶応3年12月7日(1868年1月1日)の開港以後来神した外国人たちには、狩猟や登山、ゴルフなど格好のスポーツと娯楽の場となり、新種のカタツムリ(ギュリキマイマイ)の発表など自然科学の研究対象ともなった。

目録番号:1549 神戸海岸
〔画像解説〕
神戸外国人居留地のバンド。護岸、道路、洋館が撮影されている。

〔画像解説〕 超高精細画像    和文タイトル: 神戸海岸
雑居地の海岸通2丁目付近。明治10年頃から20年代はじめの撮影であろう。このあたりには早くから外国人に永代貸しされた地所も多く、洋風の商館やレンガ造の倉庫、日本式家屋や土蔵が入り混じって建ち並び、雑居地らしい趣を伝えている。
なかほどの突堤の付け根の向こうに側に見える建物は、西税関の建物のひとつであろう。初代神戸港長(Harbour Master)のイギリス人マーシャル(John Marshall)は、明治20年(1887)8月に亡くなるまで、西税関の港長のオフィスで港内の潮汐干満の調査や気象観測を行い、港則の立案や築港計画の作成に携わった。そこの小さな小屋に据えつけられた大砲からは正午に1発ドンと午報が放たれ、神戸中に響きわたって昼休みの訪れを告げたという。中央の竿に刺さったような丸い物体は、正午になるとスッと下へ降りて港内の船に時刻を知らせるタイム・ボールである。中央の高い山は高取山(たかとりさん)だろう。

■ 確認結果

目録番号:1145「神戸港(1)」は、「海からみた神戸外国人居留地の写真である」、「海(船上)から眺めた神戸港」と画像解説している。「背後に六甲山系の山並みが連なる。中央の高い山は標高約320mの高取山(たかとりさん)だろう」は、間違いないだろう。

高取山の同じような光景は、海(船上)からでなく、次の目録番号:1549「神戸海岸」のとおり、「神戸外国人居留地のバンド」突堤の先端あたりから、北西に港を入れて撮影できると思われる。
当時の写真機では、揺れる船上からの撮影は困難ではないか。長崎の作品にも例が多い。

現在の神戸市街から見た「高取山」は、HP「ごべるん〜変化していく神戸〜」長田区高取山から。「4.明治二年兵庫津細見全圖 1868」は、HP「文化歴史資料館 風土誌科研究所」(大阪府守口市)所蔵資料から。