長崎八景の風景 4 大浦落雁
江戸時代の長崎名勝図絵の記述によると、「長崎八景」には2種類ある。ひとつは崇福寺住職の唐僧・道本編集版。そしてもうひとつ版画、大和屋版である。
長崎版画の版元は、江戸時代中期以来15名以上を数える。絵師を兼ねた版元は、大和屋の磯野文斎と梅香堂の可敬(かけい)、文錦堂の梅月(ばいげつ)などがいた。なかでも磯野文斎の版画が多い。
今回紹介する「長崎八景」は、長崎版画には珍しい長崎の風景を描いたもの。版画には「文斎堂上梓」あるいは「文彩堂」「大和屋由平板」「文斎發販」とある。(下記サイトから)
長崎Webマガジン”ナガジン”発見!長崎の歩き方 「越中先生と行く 長崎八景の世界〜江戸期の景勝地〜」から、同じ風景を訪ね、現在の写真を大きく写してきた。
越中先生の詳しい解説は、同サイトの次を参照。
http://www.at-nagasaki.jp/nagazine/hakken08031/index.html
長崎八景「4 大浦落雁」の、現代版写真の撮影場所は、南山手町の大浦天主堂へ登る坂の入口「ANAクラウンプラザホテル 長崎グラバーヒル」(旧 長崎全日空ホテル グラバーヒル)前からである。
「…現在ホテル(全日空ホテルグラバーヒル)が建っている辺りが下り松があった場所ですよ。“松が枝町”という町名にだけ、この松が残っていますね。…ちなみに左の山は“どんの山”で右側は“星取山”。橋は現在石橋付近にあった木橋を描いている」と解説している。
九州大学所蔵、永見徳太郎編集「長崎版画集」による九州大学デジタルアーカイブ「長崎八景」の解説は、次のとおり。
7 大浦落雁 出版元 大和屋 年代 天保末〜弘化頃
「落雁」は池や沼などにおりたつ雁のこと。渡り鳥である雁は秋に北方より渡来し、春に北へ去る。静かな風景だが大浦は開国後に外国人居留地となり、一時殷賑を極めた。 13.0×19.5cm
なお、「下り松」と呼ばれた大松は、実際は現在のホテルの場所ではなく、もう少し南西側にある三菱重工南山手外人住宅の敷地内となった場所に生えていたとの指摘がある。
居留地造成前後の「下り松」の古写真が、次に掲載されているので参照していただきたい。
ブライアン・バークガフニ氏HP「NAGASAKI」
http://www.nfs.nias.ac.jp/page005.html
長崎大学附属図書館ボードインコレクションにあるベアト撮影写真
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/ 目録番号: 792「長崎大浦外国人居留地」