長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:な し 長崎・銅座の十軒蔵
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:な し 長崎・銅座の八軒倉 (通称「十軒蔵」が正)
長崎県営業写真家協会「写真時代の夜明 長崎県写真百年史」平成元年発行190頁
〔画像解説〕
新地の中華街に近く、海産物などを収容するレンガ造りの倉庫が近年まで並んでいた。アマチュアの撮影になるもので、電柱、電線を消そうとした痕があり、ほほえましい。(大正末期頃)
■ 確認結果
長崎県営業写真家協会「写真時代の夜明 長崎県写真百年史」平成元年発行190頁に掲載されている「長崎・銅座の八軒倉」は、正しくは通称「十軒蔵」という。
古写真は、銅座橋から広馬場の方を撮影している。現在の銅座観光通り左側、新地中華街前に「十軒蔵」が建ち並んでいた。
長崎年表の記録は、次のとおり。
▼明治20年代(1887〜1896)
★広馬場入口から銅座川までの本籠町68番地に貿易商兼倉庫業の本田平十が10棟続きの煉瓦造平屋建、切妻造の倉庫を建てる。通称・十軒蔵
→昭和初期☆7棟に →戦後☆6棟に →1970(昭和45)☆5棟に →昭和50年代☆解体
現在は籠町。江山楼向かいにある有料駐車場「三井のリパーツ」前の歩道に、さるく説明板が設置されている。新地中華街を向いて立っているが、説明板の写真どおり、撮影場所の銅座橋角あたりに設置しないと、通りの左右どちらが倉庫跡かわかりにくいだろう。
「十軒蔵」は、HP「ナガジン」発見!長崎の歩き方の、「古写真にみる遠い昔の長崎名物」に次のとおり記事があった。
「明治20年代に建てられた、中国との貿易品を保管していた赤レンガ倉庫群。戦後はデパートやマーケットの倉庫、飲食店として利用されていたが、昭和50年代に解体された。通称“十軒蔵”と呼ばれていたこの場所は、現在の銅座観光通り。現在もおいしい長崎中華が味わえる“喜楽園”の看板を左手前に見つけた!」
銅座橋角の酒屋主人から、おもしろいことを教わった。「十軒蔵」は昭和50年代まで一部の建物が残っていた。今でも向かいの「喜楽園」ビル上に、2軒目倉庫屋根の片割れがまだ現存し、様子を確認できると、屋根を指差してくれた。
裏通りから「喜楽園」を訪ねた。戦後からここで営業しているが、建物内部には赤レンガの壁がまだあり、ガスボンベ室で良くわかると、鍵を開けて見せてくれた。
「ナガジン」の”喜楽園”看板発見の文は偶然のようだが、同店建物の内外に残る倉庫跡のそこまでは気付いていないようである。
「十軒蔵」の記事は、次も参照。 https://misakimichi.com/archives/3119