長崎名勝図絵の風景 16 傾 城 町
「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)
本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
長崎名勝図絵 巻之二下 南邊之部
139 傾 城 町 (文献叢書 87〜91頁 所在地 長崎市丸山町・寄合町)
小島村にある。丸山町、寄合町という。文禄(1592−5)の頃、筑前博多の者が今の、今博多町、古町、桶屋町三町の間の地をひらいて家を建て、遊女屋を設け、南蛮人も含めて多くの人々の、遊宴の場所にしたのが始まりである。その後寛永19年(1642)官命により今の地に移され、唐館紅毛館にも出入りして、異国人を慰めさせた。…俳句三を記す。
草花の名に旅ねせむ禿ども 支考
いなずまやどの傾城とかりまくら 去来
鼻毛よむ髭よむ花の膝まくら 素登