2−特 小国民資料館の庭  (確認 長崎要塞第二地帯標 第二十三号 移設)

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2−特 小国民資料館の庭  (確認 長崎要塞第二地帯標 第二十三号 移設)

「長崎要塞地帯標」を金比羅山の砲台山中腹の登山道で見つけた、戦争史を研究する鹿児島の小原さんから、貴重な情報をまた電話によりもらった。
3月10日、長崎市田上3丁目の「小国民資料館」を訪れた際、同館の庭に「長崎要塞地帯標」が展示されていると言う。“少国民”とは、先の大戦中に子供達のことを呼んでいた言葉。
田上交差点からすぐ左の3丁目の道路に入る。橋から急坂を登って行った奥の方の宅地に資料館はある。

「小国民資料館」は、戦争を語るまちの資料館。高浪藤夫さん(めがねのコクラヤ店前経営者)が自宅別棟に、1940〜47年頃大戦時代の生活を語るものを展示している。
45年3月、福岡県朝倉郡立石村(当時)にあった立石国民学校の児童35人が空襲で死んだ。隣りの国民学校の6年生だった高浪さんは。衝撃を受けた。
資料館の開設は、この子らの慰霊もあるが、悲惨な戦争を忘れさせまいとする高浪さんの執念がみなぎる。資料館の詳しくは、
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2000/kikaku/siryou/siryou1.html

私も訪れ、庭に展示している「長崎要塞地帯標」を確認した。「長崎要塞第二地帯標」「第二十三号」と刻む。建物の建築業者が持ち込んでくれた標石で、女神?あたりの山中に横倒しになっていたというが、詳細不明。
第二地帯は、神の島の要塞から約4kmの円線。星取墓地公園道脇のが、長崎要塞第二地帯標「第二十七号」だから、私には上小島合戦場あたりに立っていた標石と思われる。そうすると私の地図の仮No.「2−I」の可能性がある。
脇にもう1本。背が低い「陸軍」と刻む標石は、五島から持ち込まれたらしいが、陸軍施設か軍道の境界石柱だろう。

後ろの写真は、「小国民資料館」の展示物あらまし。清水昆や北村西望の実筆書画もあった。
所在地は、〒851−0251 長崎市田上3丁目17番47号。電095・823・3220。見学は手紙か、急ぐ場合は電話による予約が必要。無料。