長崎名勝図絵の風景  9  水 紋 石

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長崎名勝図絵の風景  9  水 紋 石

「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)

本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
水紋石は次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/243
水紋石の所在地は、長崎市愛宕1丁目32番11号。愛宕山の南側中腹。場所がわかるよう地図(航空写真)で示した。現在、石面は庭の崖に少ししか確認できず、神祠はなかった。

長崎名勝図絵 巻之二上   南邊之部

99 水 紋 石     (文献叢書 71頁  所在地 長崎市愛宕1丁目)

高野平の東、小野の窪にある。立ちならぶ岩の石面は、皆自然に水波の紋が表れている。内に稲荷の神祠が祀っている。岩水大明神という。俗に八兵衛稲荷と呼ぶ。