長崎の古写真考 ふるさと長崎 65頁 第056景 金比羅山遠望

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長崎の幕末・明治期古写真考 ふるさと長崎 65頁 第056景 金比羅山遠望

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

ふるさと長崎133景
65頁  第056景 金比羅山遠望 (坂本町・2000年)
〔作品解説〕
道一つを隔てた下界の方から浦上天主堂を描いた帰り道、長崎大学医学部沿いの道を辿り、大学付属病院近くで左手を見ると、いかにも長崎らしいこんな風景が目に入った。小学校6年生になった頃、母親に連れられて目の精密検査に病院に来たことが思い出された。詳しい検査をされた覚えがあるが、近視はそのままになった。前述のとおりこの辺りは馴染みが薄いが、それでも親友と一緒に、この近くにあった彼の親戚の家に遊びに行ったこともある。そこで背革クロス製の美しい大型の本を見た。中は『波』(山本有三作)という小説。世の中にこんな面白い小説があったのかと驚きながら、早速借りて帰ったのを覚えている。その親友の母親は、あの原爆投下の日、この親戚の家に来ていて亡くなったという。それ以後、いくら彼を誘っても彼は長崎へはもう行きたくないと答えるばかりである。

■ 確認結果

古写真ではない。現代のスケッチ風景。喜多迅鷹氏著「ふるさと長崎133景 きた・としたかスケッチ紀行」長崎新聞社平成17年発行65頁から「第056景 金比羅山遠望」(坂本町・2000年)。筆者のスケッチ場所は、大学病院前から医学部通りへバス通りを曲がったすぐの小橋脇の石段から、東側の眺めを描いている。

このスケッチ場所を流れる川には、被爆遺構と思われる小さな煉瓦造アーチ式石橋が上下に2つ残り、私には行き慣れた場所だった。ただ、スケッチ背後の高い建物や、山がどこかまでは良く見たことがなかった。
坂本1丁目8街区角の橋のところから、風景を確認した。背後の高い建物は、長崎市立江平中学校、山は金比羅山(標高366.3m)山頂に間違いなかった。