長崎の古写真考 ふるさと長崎 61頁 第052景 眼鏡橋畔風景 

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長崎の幕末・明治期古写真考 ふるさと長崎 61頁 第052景 眼鏡橋畔風景 

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

ふるさと長崎133景
61頁  第052景 眼鏡橋畔風景 (諏訪町・1995年)
〔作品解説〕
寺町通りや中通りも楽しいが、川端通りもまた楽しい。とくにあまりきれいに整備されていない東側に、思いがけない昔のたたずまいが残っている。この骨董屋さんもいつ頃から続いているのか、私の子供の頃からあったような気がしてくるほど。まだ小学校に上がる前の頃、父親に連れられて浜町あたりまで行くと、往きに帰りによく古道具屋に立ち寄った。父はいそいそと、私はうんざりしながら…。考えてみると、昭和初年の頃は不景気だったはずだが、父は道具をいじり、俳句を作り、弓やテニスに熱中し、ビリヤードにまで出掛けていた。職場では運動会も盛んで、野球チームもあり、慰安会と称するものに行ってみると、顔見知りの父の職場の人たちが、大真面目で演劇などをやっていた。大陸ではもう戦争が始まっていたのに、おかしな時代だった。(あとで聞くと、この古道具屋は戦後のもので、この数年後、近くへ移転したということだった)

■ 確認結果

古写真ではない。有名な長崎「眼鏡橋」現代のスケッチ風景。喜多迅鷹氏著「ふるさと長崎133景 きた・としたかスケッチ紀行」長崎新聞社平成17年発行61頁から「第052景 眼鏡橋畔風景」(諏訪町・1995年)。
2枚目の現在の眼鏡橋写真と比べると、ある違いに気付くだろうか。石橋登り口の石段数がスケッチては5段なのに、写真では2段である。

これは私のまったく思い違い。魚の町(または栄町)側から写すとそうなる。眼鏡橋の石段数は、実は魚の町側は2段、諏訪町側は5段と、不均衡な造りとなっている。川岸の高さ違いか?
眼鏡橋を渡って、諏訪町側から写した写真が4枚目。スケッチどおり5段あった。したがって、(諏訪町・1995年)、「眼鏡橋」を諏訪町側から描いた作品と確認した。
知らなかったなー、こんなことと思い、石段数のこの作品を取り上げてみた。