長崎の幕末・明治期古写真考 ふるさと長崎 36頁 第027景 金比羅山と烽火山
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
ふるさと長崎133景
36頁 第027景 金比羅山と烽火山(ホテルから城の古址方向を望む・2000年)
〔作品解説〕
その日は雨だった。ホテルの部屋から見えるのは、中島川の大井手橋方向だけ。これは以前すでに描いている。部屋を出て廊下の北端の非常口のドアを開けるとこの風景が見えた。雨の降り込みを気にしながら描く。背後の山は、左が金比羅山(366m)、右が健山(300m)に続く烽火山(426m)。江戸時代異国船の接近を警戒して、烽火台が設けられていたのだ。山頂から四方八方眺望を楽しんだ記憶がある。その前のこんもりした丘が城の古址。ここは見るとおりこんもりと樹木に覆われ、隠れ家のような面白味はあったが、眺望は利かなかった。
長崎中学の新入生たちは、入学後間もない時期にこの山に連れてこられ、上級生たちにデカンショ節や教師の仇名入り数え歌などを教わったりした。
「一つとせ 人もよく知る長中の動物園(教師を動物に見立てて)の数え歌—
(中略)
五つとせ 威張って歩くは馬の— たまには予習もして来いよ」 などという辛辣な一節もあった。
■ 確認結果
古写真ではない。現代のスケッチ風景。喜多迅鷹氏著「ふるさと長崎133景 きた・としたかスケッチ紀行」長崎新聞社平成17年発行36頁から「第027景 金比羅山と烽火山(ホテルから城の古址方向を望む・2000年)。
中島川の大井手橋が見えるから、伊勢宮近く伊勢町「トレディアーホテル中島」(現在は閉店)からだろう。
非常口を開けて反対の北東側を描いている。地形図のとおり金比羅山(正しくは366.3m)は、長崎バイパスへ続く西山県道谷間のまだ左にあり、このスケッチには表れない。描かれているのは、城の古址から後ろの山、健山(300m)と烽火山(426m)だろう。
長崎新聞社は地元だから、きちんと監修してほしかった。現在の写真は、ビルで山並みが見えない。新大工通り入口と長崎市民会館付近からの確認写真を載せる。