わたりどり氏HP 「みさき道」 掲載年不明 

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わたりどり氏HP 「みさき道」 掲載年不明 

「みさき道」に関する関係資料(史料・刊行物・論文等)の抜粋。平成18年当時のわたりどり氏
HP 「みさき道」 掲載年不明。HPは削除か。現在では見当たらない。 
この資料は、本会の研究レポート「江戸期のみさき道」第2集平成18年4月発行37〜39頁ですでに紹介済み。南長崎ダイヤランド内の「みさき道」は、次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/362
写真は、ダイヤランド内の籠立て場だったと思われる付近からの小ヶ倉と港外の島の遠望。

わたりどり氏HP 「みさき道」 掲載年不明

みさき道、いよいよスタートです!
第1日目 長崎の町ん中を出て  4月16日晴れ

スタートの十人町までやってきた。ここから、脇岬・観音寺までの長い徒歩の旅が始まる。スタートの道塚を見つけた。もっとしっかりしたものと思いきや、意外にもろそう。よくこれが道塚だとわかったものだ。十人町の道塚 町の掲示板の横にひっそりと。住宅地の小さな石畳の通りを歩いてゆく。
ほどなく、ピエル・ロチ寓居の地 と書かれた石碑の横を通る。長崎に滞在したフランス海軍士官がピエル・ロチ(ピエール・ロティ)が、この町で日本人女性と共に1ヶ月間過ごした記録を著した『お菊さん』は今でも出版されている。しかし、長崎にはこのような話はよくあるが、1ヶ月だけの恋って辛くはないだろうか。そんな彼らの思い出の前を通り過ぎる。
またほどなくして、遠見番跡 と書かれた案内板の前に着く。案内板には「鎖国時代、外国船の入港・出港に際しての監視及び長崎奉行所までの伝達機関として野母・小瀬戸・梅ヶ崎・勧善寺(後に永昌寺)に遠見番が設置されていた。この付近に遠見番10人の官舎が設けられていたことから、十人町 と名付けられた。」と書いてある。そうだったのか…だから十人町。歴史を感じるなぁ。しかしここから野母まで通うの大変だったろうな…(毎日じゃないだろうけど)

振り返ると長崎の市街地が少し見える。石畳の細い道。住宅の間の普通の通りという感じ。この細道を登りきると、大きな通りに出た。通りを右に行く。いわゆる、オランダ坂 という有名な道だ。上の画像の洋風の建物は活水女子大学。少し進んで下を見下ろすと…おお、これまた洋風建築。なかなか異国情緒漂う雰囲気。表から見ると…あ、屋根の間から孔子廟の屋根が! ↓の下です。(孔子廟はこんな感じ) せっかく高台の気持ちのいい道だったのに、下り坂となり早くもオランダ坂終点。下から見たオランダ坂終点。けっこう急登!?
一度、石橋電停付近へ出て、バス道路を横切り、お肉屋さんと果物屋さんの間の通りを行く。道なりに行くとグラバー園にショートカットできるスカイロードの入り口につきあたるのでそこを左に。ここから完全な、住宅地の通路となる。車の通れない細道。
ほどなく、共同の水場?のような場所を目にする。昔はここで、井戸端会議などやっていたのかな… 蛇口の下が濡れている。まだ使われているのかな。チビももを抱いてずんずん歩く。まわりを見渡せば… 左側 丘にへばりつくように立ち並ぶ家々。右側 どこまでも続く横道。車の入れないこともあり、石段には猫がくつろぎ、子供が遊ぶ。迷路のような歩き道。ああ、長崎の典型的な家並だ。とても懐かしく思えた。ほどなく出雲二丁目。車道に合流したところで今日の行程はおしまい。

第2日目 わたしのふるさと  5月4日晴れ

1日目の終点、出雲からのスタート。車道と合流し、もくもくと二本松へ向けて登る。石垣のムラサキカタバミを愛でる私。昔からの道だからか、あちこちで神様が見守っておられる。道のところどころで神様を祀ってある。容姿は様々。この道は昔、戸町道と呼ばれていたらしい。戸町⇔市街地の重要な道。現在では昭和40年以降に造られた県道が戸町へのメインルートとなっているが、実はこの出雲→上戸町の道が圧倒的に近い。徒歩では特に。
カンカン照りの中を歩きに歩いてやっと頂上…二本松地区へ到着。正面は二本松神社。この社殿は昭和4年に作られたらしい(石碑より)。この神社をとりまく戸町道は、昭和8年に改修されたらしい(石碑より)。現在の道の状況から言えば、移築した方がスムーズに通行できそうな感じにこの神社は立ちはだかっている。でもあくまで神社はこの場所、という住民の声が聞こえそうだ。この位置にあるからこそ、昔の風景を思い浮かべることができる。旧道 という雰囲気を醸し出している。二本松地区から見た景色 海が見える。
大きな道路を渡って、左の細道へ入る。民家が立ち並ぶ。ここからも景色がよく、稲佐山と鍋冠山が同時に見える。やがて、道路をはずれて山道へ…さぁ、ここからが昔のままのみさき道。石垣の跡 きちんとした道だったらしい。石段もきれいに残っている。道幅も広い。そして、ほどなく道塚発見!!間違いなくここはみさき道。しかもきれい!!!ほぼ完璧な形で残っている! ↓アップはこちら。江戸時代の道しるべとは思えない…風雨や人々の開発の手から逃れた貴重な一本。

山を抜けるとこの景色 もう上戸町に到着。県道へ出て、ガソリンスタンドの横の道へ入る。右手は広い敷地・立派な庭木・おおきな鯉のぼりが並ぶ…そう、武家屋敷のよう(実際、長崎港を開いた長崎最後の殿様・長崎甚左衛門の三番目の弟の筋の子孫が住んでおられるらしい。しかもその方は私の同級生)。戸町中学校の脇を通り、新戸町を歩く。公民館前の蓑川永太郎翁の記念碑の前を通過。通いなれた中学の通学路がみさき道だったなんて… 昔よりひらけて、空が広くなった気がする。
これより南は佐賀領 と書かれた石標。なんと新小ヶ倉から南側は佐賀の領地だったのだ。しらなかった。坂を上り、県道にぶつかる。モスバーガーで一服して再び歩き出す。峠のガソリンスタンドの隣の造園屋さんの中に道塚は立っていた。これは探しに探した。草の中に埋もれている。ここからは宅地造成により昔の道はどうだったか定かではない。
道塚付近に建つ力士塚。天保10年頃に東京相撲で活躍した二子島力士と慶応4年ごろに宮相撲で強豪であった熊ヶ谷力士のもの。またこの界隈はみさき道の主要路で、観音寺参りの商人や、深堀武士たちの往来も激しく一軒の茶屋があったと伝えられ、今でも「ゲンネン茶屋」(源右衛門茶屋)と呼んでいる(碑文より)。

下る。くぐる。登る(206段)。わざわざダイヤランドにここまで回り道してアプローチしたことはなかったなぁ。そしてダイヤランド(新興住宅地)に入り、籠立て場(昔の休憩ポイント)に到着。って、かなり殺風景な籠立て場(跡)だな。たぶん昔の籠立て場からこんな景色が見えていたはず。
ここからまた山道に入る。この道がまた細い。昔は殿様の通る「殿様道」といわれていたらしいが、まったくその面影はない。かごが通れる幅じゃない。ほとんど斜面。景色だけは素晴らしい。しばらく藪を歩くと鹿尾川の上に出る。川へ下りてみると、昔のみさき道であったという飛び石のなごり?のような風景に出会う。川には他に大きな石は見当たらない。当時は飛び石を渡って↓の神社を経由していたという。
川沿いに国道へ出て、横断歩道を渡る。土井の首郵便局の道を通る。ここは私が幼稚園の時、毛井首から土井の首へ一人で毎日通った通園路だった(さらに土井の首からバスに乗って浪の平まで通っていた)。誘拐の危険性も少ない、古きよき時代の話である。海へ出た。土井の首村の役場の跡を通る。そういえば小学生の頃は、洋風な白っぽい木造の建物がまだあった! あれは役場だったのかなぁ… しかし、土井の首村が長崎市に編入されたのは昭和13年。もしあれが役場だったとしたらあの建物はかなり古いものだったということになる。今は取り壊され、こんな感じに。土井の首は、私が5歳から12歳までを過ごしたふるさと。ふと、同郷の福田清人先生の「春の目玉」を思い出す。

春の目玉
ぐっと大きく 目を見開いて  すべてのものを よく見よう  君の目玉に映るものを
よく見分けて どんどん伸びていこう  君の美しい心は 君のよく澄んだ目玉に
春の光のようにあらわれる
土井の首小学校の学び舎で、大きな声でのびのびと歌っていた。あの頃が懐かしい。福田先生がどういったお方かというお話はここでは割愛させていただくが、みさき道に関する句を詠まれ、諏訪神社に句碑があるという。
岬道 おくんち詣での思い出も
なつかしい思い出を胸に土井の首を去る。江川の橋を渡る。昔、母から叱られると決まって「お前は、江川の橋の下でひろった」と言われていた。いくらなんでもこんなドブに捨てる人はいないだろう、と子供ながらに思っていた…(苦笑) 末石の工業地帯を歩く。末石は私が物心つくまでの間暮らしていたところ。私が詳しいのはこのあたりまで。やがて、新道の高架をくぐって深堀へ入る。雰囲気がこれまでとがらりとかわる。町のところどころに、波止恵比寿。旧道にもかかわらず人の往来がはげしい。ほどなく武家屋敷跡に到着。歴史ある深堀の町については、次回、出発時に。(写真略)

(注) 第1集では、資料掲載を省略したHP。九州東海大学W.Ⅴ(ワンダーホーゲル)部OGで長崎在住の方か。歩いた年がHPでは不明。現在ではこのHPは見当たらない。今となっては貴重な記録。当時の著名な方などの資料コースをもとに、「みさき道」を踏査されたと思われる。

上戸町墓地を通り、ダイヤランド入口ではいったん小ヶ倉側へ下り、ダイヤランドへアプローチ。そんな回り道は考えられない。きついはずで籠立て場の場所も違う。土井首から毛井首経由は、明治になって開けた道。江川橋や平瀬の海岸道もなかった。
資料コースはその後、修正されているようだ。三和町郷土誌の概念図も了承をお願いしたい。