長崎奉行所立山役所の境石「従是御立山」  長崎市立山1丁目

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長崎奉行所立山役所の境石「従是御立山」  長崎市立山1丁目

長崎市立山1丁目の諏訪公園内。大クスノキ内の急カーブ市道を「六角堂」の広場まで登る。市道左手カーブミラーの石垣下を覗くと、「従是御立山」と刻まれた中くらいの自然石が見える。刻面がこちらを向いている。

長崎webマガジン”ナガジン” 発見!長崎の歩き方「お諏訪の杜の庭園伝説」(2009年12月)による説明は、次のとおり。  http://www.at-nagasaki.jp/nagazine/hakken0912/index.html
地元お住いの井村啓造さんの話。六角堂一帯の“石ヶ原”も、東照宮に対する畏敬の念を現すために造られた庭園だったのではないかと推測している。

…井村さん「子どもながらに、ウチはよその家と何か違うな、と思ってましたね。」
聞くところ、かつては料亭を営んでいたのだそうだ。こんな高台の、当時ではとても不便そうな場所に「料亭」? そんな、子どもの頃の井村さんの遊び場所は、もちろん、お諏訪さんの境内だった。「六角堂」が整備されたのは、今から約30年前。井村さんの子ども時代のこの辺りには、木々がうっそうと茂り、巨大な自然石がゴロゴロ転がった、格好の遊び場。

井村さん「ここ石の上を、ぴょんぴょん跳んで遊んでいたんですよ。」
また、木々に覆われたこの辺り一帯が探検にうってつけの場所だった。仲間達と駆け廻る中、それほど気にも止めずに見ていた石に刻まれた文字。当時は、「…立山」。”立山”の文字しか見えなかった。

井村さん「それが、大人になってから気づいたんですよ。この石に刻まれた字が、“従是御立山”、つまり、ここからが長崎奉行所立山役所の敷地だという境界を示す石だということをね。」

茂った草で下の方は見えづらいが、草をよけると確かにその石には刻まれていた。位置的に何の疑うべきところもない。大きさからいっても、どこからか運んできたものとは思えない。立山役所の時代からこの場所に鎮座してきた石なのだ。そして、周囲には他にも大きな石が散在している。

井村さん「すると、この石を境にして、立山役所と諏訪神社と、くぎられていたってことですよね。当然、この道はまだなく、このような自然石がもっとあったんです。」…