三和町内地名のルーツ 徳道は得峠(とくどう)では

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三和町内地名のルーツ 徳道は得峠(とくどう)では

「みさき道」に関する関係資料(史料・刊行物・論文等)の抜粋。浦里宇喜男さんの「三和町内地名のルーツ」その2 「徳道」は「得峠」(とくどう)では。三和町教育委員会広報誌「あなたと広場」No.213(平成12年2月号)に掲載。「三和町」などは旧町名。

この資料は本会の研究レポート第1集「江戸期のみさき道」平成17年9月発行149頁ですでに紹介済み。
真鳥喜三郎著「地名のルーツを探る 長崎・野母半島」昭和59年刊60頁の「ア 徳道」に同じ説明がある。それから引用されたのだろう。

三和町内地名のルーツ その2 徳道は得峠(とくどう)では  浦里宇喜男

徳道地区は、三和町の一番の高地(標高150mから200m)にあり、また、峠に位置する集落である。この地の地名は、本町川原から野母崎町高浜に通じる幹線道(旧道)を挟んで、大字川原字徳道と大字宮崎字得道となっている。
ご案内のとおり、この野母半島には昭和初期まで県道もなく、東の天草側と西の五島灘側との交通手段は徒歩以外の何ものもなく、その要路としてはこの徳道の峠越えの道と、現在の役場の庁舎の前を通っていた為石から蚊焼までの幹線道(旧道)の2本の道路だけであった。

大型荷物は海上輸送が主であったが、一般の荷物輸送は、牛の背、人の背以外に方法はなく、少しでも低い峠道を選ぶのは当然のことであった。
それで、徳道なる地名は、「得をする峠」即ち「得峠」からきたものと考えたい。
山越えに便利な峠「とう」が濁音化して「どう」となったものと思われる。また「とく」は損得の「得」の意味であって、遠回りして骨折り損にならない「得」な道から「通行に便利な峠の道」「得峠」「徳道」となったのだろう。

現在、この地は川原地区、宮崎地区、木場地区からの車道が集中しており、野母崎の黒浜、以下宿、高浜に通じている。このように交通の要所となっていることからも、昔からよく利用されていた峠道であったことがわかる。