長崎の古写真考 目録番号:6272 海から見た大浦居留地(再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6272 海から見た大浦居留地(再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6272 海から見た大浦居留地

■ 確認結果

目録番号:6272「海から見た大浦居留地」が、朝日新聞長崎地域版2011年8月20日付「長崎今昔」(ズーム拡大)に掲載された。
「外国人居留地の一等地、大浦バンド(現・大浦海岸通り)の1865年ごろの姿です。ボードイン博士が、自身が住む出島から撮影しました」と解説している。

撮影地は「出島」の西端あたりからに間違いないだろう。本ブログ2009年7月の次の記事で、状況判断できる近くの長崎水辺の森公園へ行って確認している。
https://misakimichi.com/archives/1870
データベースで不可解なのは、タイトルをなぜ「海から見た」のままとしておくのだろう。海上の船からの撮影ではない。陸地の「出島」から撮影できるのである。

そして、この作品は、これまでのデータベースと一体化されていないが、「超高細精画像」があり、「画像解説」がいつの頃か、数点に作成されている。
別のHP”日本古写真アルバム ボードイン・コレクション”の「幕末アルバム大VOL.3」か、「長崎のパノラマ 文久・慶応年間の長崎」を開き、確認しないとわからない。横断システムといいながら、そう構築されていない。どうやら私は、タイトルから無駄足を踏んだようだ。
ボードインコレクション解説は次のとおり。 

大浦居留地のバンドと呼ばれた海岸側を出島から撮影しています。右手には元治元(1864)年に創建された大浦天主堂が見えています。大浦海岸通りにはこの時期、11番にアメリカ人ファルリーヘルト、10番にフランス人ヒグネトル、9番に同カーイマンス、7、8番にイギリス人オールト、6番に同モルトハイ、5番に同グラバー、4番にオランダ人フワンドルテーキ、3番にアメリカ人ウォーラス、2番にイギリスのジャーディン・マセソン商会、1番にイギリス人ロイスが入居していました。
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