長崎の古写真考 目録番号:な し 時津の写真

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:な し 時津の写真

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:な し 時津の写真

■ 確認結果

ブライアン・バークガフニさんのサイトだろう「長崎古えはがき」の、「時津」の中に掲載されている写真から、2枚を取り出した。長崎大学データベースには見当たらない。
画像が小さいため、はっきりしたことが言えないが、
「TOKITSU」は、時津町浦郷の「八幡神社」。南側(現在の時津警察署あたり)から撮影しているのではないだろうか。
「THE STONE BRIDGE AT SUIKOEN TOGITSU NEAR NAGASAKI」は、時津町元村郷字丸田の「丸田橋」ではないだろうか。

「丸田橋」の架橋年代、アーチ式石橋だったか、「SUIKOEN」の地名?など調査中。海水は時津川をここまで上がるだろう。橋の向きから「丸田橋」が考えられる。
背景の右の山?は、滑石の方「烏帽子岳」で特徴がある。現在の山並みは、パーラー花工房4階駐車場から写しているので、古写真と異なる。

藤野保編「大村郷村記 第四巻」図書刊行会昭和57年刊の「時津村」。111〜112頁「往還道筋并川流之事」に次のとおり記録があった。伊能忠敬測量日記にはない。
現在の場所かはわからない。次が「継石(鯖腐石)」まで。当時の「長崎往還道」(時津街道)だったようである。上流の「鳥越橋」は表れていない。 
「…同茶屋本門より丸田川石橋 長サ五間、横貳間、此川以前傳石なり、天保ニ卯年新規石橋懸る、入銀高高谷庄藏之出 まて四町五間半、此間左田・人家或ハ山、右田原也…」

データベース目録番号:5653「時津の家並み」は、次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/1566
https://misakimichi.com/archives/1837
撮影場所は、私は浦郷北泊「稲荷大明神」が祀られた公園の高台からと推定している。一方、「コミュニティ時津」歴史・史跡は、「浦郷北どまりの墓地付近」。 地元で良く検証してほしい。