長崎外の古写真考 目録番号: 769 横浜の運河と山手

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 769 横浜の運河と山手

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 769 横浜の運河と山手
〔画像解説〕 超高精細画像データベース
堀川は万延元年(1860)に開削され、外国人居留地と日本人市街の境界とされた。明治初期に護岸が整備されるが、この写真では地肌が露わで、河岸も整備されておらず、ボートは木の杭に吊されている。外国人居留地と定められた地域から立ち退きを迫られた横浜村住民は、丘の麓と堀川の間の細長い地域に移住し、元町が形成された。堀川の左側がその家並みである。堀川には海側から谷戸橋・前田橋・西の橋の三つの橋が架けられ、橋のたもとには関門番所が置かれて、外国人居留地への人の出入りが厳しくチェックされた。そのため、外国人居留地を含む開港場の中心部は「関内」と呼ばれた。この写真は谷戸橋からの撮影であろう。画面中央右よりの橋が前田橋。橋の左手、木柵で囲まれているのが関門番所である。橋の右手の大きな建物はキャメロン&クックの造船所で、ヨットを製造していた。もう一つ向こうの橋が西の橋である。

〔画像解説〕 メタデータ・データベース
ベアトによる1865年9月7日の書き込み。横浜居留地東端橋から堀川(運河)上流を望む。左の家並みは元(本)村、橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている。右手奥に見えるのはキャメロン&クックの小造船所である。

目録番号:6208 横浜の運河と山手(2) 後日、同じ写真が登載されている。

■ 確認結果

目録番号: 769「横浜の運河と山手」は、超高精細画像データベースては、〔撮影者:未詳〕。メタデータ・データベースでは、〔撮影者:F.ベアト〕と変っているのに修正されていない。タイトルも「横浜の運河と山手(1)」となろう。

こんな例は多数の作品に見られるから、調整が必要。メタデータ・データベースの「橋は谷戸橋、前田橋。西ノ橋もかすかに見えている」は解説間違い。谷戸橋から撮影?しているらしいので、「谷戸橋」は写っていない。

この写真は、横浜開港資料館編「F.ベアト写真集2 外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊の26頁に掲載されている。同解説は次のとおり。
22.堀川と元町
堀川の右手が外国人居留地、左手は元町。中央右手の橋は前田橋、その右手の大きな建物はキャメロン&クックの造船所。遠方に西ノ橋が見えている。(C)