長崎の古写真考 目録番号: 328 大浦海岸通り(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 328 大浦海岸通り(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号: 328 大浦海岸通り(1)
〔画像解説〕 超高精細画像データベース
小川一真アルバムの一枚。大浦海岸通りの洋館群が海上から撮影されている。右の橋は明治22年前後に架替えられたポーストリングトラス橋の下り松橋(松ヶ枝橋)で、元の橋は明治3年(1870)に架けられた。建物は右から大浦11番ドイツ領事館、10番は外国人の社交場であった長崎クラブ、9番は2棟あってスタンダード・オイル、8番は空き地で7番はホーム・リンガー商会、6番はイギリス領事館、5番はジャディ・マセソン商会とヴェランダ付き2階建て洋館が続いている。大浦10番の前には電信柱が見える。長崎電灯株式会社ができたのは明治22(1889)年4月で、電信柱は26年(1893)から建てられたので、この写真はそれ以降の撮影である。この建物の屋根越しに明治15(1882)年建築のラッセル館(現活水学院)とその尖塔が見える。海上の小船は大船に荷物を運ぶサンパン。街路の中央(文久年間に埋め立て拡幅)の松の木は大きく成長している。撮影は20年代後半。

〔画像解説〕 メタデータ・データベース
明治中期の大浦海岸通りを撮影した写真である。通りには街灯が設置され、街路樹が植えられている。通りに面して商館や領事館が整然と並んでいる。当時の質の高い景観を見ることができる。手前の橋は明治3年(1870)建設の下り松橋(梅ケ崎橋)。 

目録番号:4732 大浦海岸通り(6)
〔画像解説〕 超高精細画像データベース
作者不詳の大型蒔絵アルバムの1枚でBUND NAGASAKIと印字。ほかの写真の撮影時期から推測して、明治25年(1892)頃、海上から大浦バンドを撮影したものである。右手に少し写っているのが大浦11番のドイツ領事館。10番は居留地の外国人社交場であった長崎クラブ。以下9番スタンダード・オイル。次の洋館も地番は9番である。目録番号328(整理番号8-2)の写真と較べるとこの横の洋館がない。8番は空き地で7番がホーム・リンガー商会。次の旗竿が立っている緑壁の建物が大浦6番のイギリス領事館、5番のピンク壁の大きな洋館にはアジアにおけるイギリスの大商社ジャディ・マセソンが入居していた。丘の上には明治15年(1882)新築のラッセル館(旧活水学院木造本館)が見える。大浦10番の長崎クラブの前には電信柱が見えるが、これは明治26年(1893)以降長崎電灯株式会社が設置したものである。街路の松木の高さを比較することで類似写真の新旧が判る。

■ 確認結果

目録番号: 328「大浦海岸通り(1)」の〔画像解説〕で、超高精細画像データベースは、「海上から撮影されている」とあるが、「下り松橋(松ヶ枝橋)」手前の突堤から撮影できたのではないか。
旧長崎税関下り松派出所(現長崎市べっ甲工芸館)の6番波止と思われる。

メタデータ・データベースは、「手前の橋は明治3年(1870)建設の下り松橋(梅ケ崎橋)」と解説している。「下り松橋(松ヶ枝橋)」でないか。建設年代を記すのは、いかにもこの鉄橋?が明治3年に造られたように取られる。
この項は次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/1539

目録番号:4732「大浦海岸通り(6)」も、海上からではなく、同突堤からだろう。

長崎市教育委員会編「長崎古写真集 −居留地編ー」平成15年刊第3版の62,63頁にも同じような写真が掲載されている。141頁図版解説では、両作品とも「下り松南側の波止から撮影したもの」となっている。