長崎の古写真考 目録番号:6075 海上からの出島パノラマ組写真(1) ほか (再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6075 海上からの出島パノラマ
組写真(1) ほか (再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6075 海上からの出島パノラマ組写真(1)
目録番号:6076 海上からの出島パノラマ組写真(2)
目録番号:6077 海上からの出島パノラマ組写真(3)

■ 確認結果

朝日新聞長崎地域版きのう2011年(平成23年)7月2日付”長崎今昔 長大写真コレクション”に掲載された「出島の変遷」(クリック拡大)。
「1874年末、大浦沖から撮影された3枚組みの出島のパノラマ写真と、スチルフリード・アルバムに収載された77年ごろの出島です。…」と解説している。

長崎大学データベースでは、上記目録番号の上野彦馬撮影とした「海上からの出島パノラマ組写真」の3枚組の作品である。スチルフリード・アルバムにある写真は、データベースでは見当たらない。
新聞記事の解説では、撮影者の明記がないので、上野彦馬作品でないことが判明したのかも知れない。あと1つは、撮影した場所を「海上からの」に代わり「大浦沖」と解説している。

当時のカメラと技術で、はたして「海上」ないし「大浦沖」、すなわち船の上から、写真をブレることなく撮影できただろうか。どの写真もちゃんと陸上から撮影できる場所があったと思われる。
この項は次の記事を参照。https://misakimichi.com/archives/1924

新聞記事でいうと、パノラマ写真の左側を、スチルフリード・アルバムに収載された下の対比写真「1877年ごろの出島」が、3年経過してもまったく同じように出島を撮影している。
写真右下隅に突堤か海岸通りの縁石みたいなものが写っているのが、その証明となるのではないだろうか。

現在の写真は、大浦海岸通り松が枝橋先、山の見通しが良い「松が枝国際観光ふ頭」入口の陸橋上(現在は撤去されている)から写した。出島はこの写真では中央、長崎県美術館やAIG長崎ビルの後方あたりの位置となる。