長崎の古写真考 目録番号:な し 上野彦馬撮影「長崎の町から長崎港方面を望む」

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:な し 上野彦馬撮影「長崎の町から
長崎港方面を望む」

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:な し 上野彦馬撮影「長崎の町から長崎港方面を望む」

■ 確認結果

昨年4月、長崎崎歴史文化博物館で開催された「幕末長崎古写真展 ー龍馬と彦馬、維新のまなざしー」に展示されていた作品。画像解説はそのときから疑問があった。
長崎:江崎べっ甲店所蔵『上野彦馬撮影局ー開業初期アルバムー』中の写真。長崎大学データベースでは見当たらない。

尼崎市総合文化センター編「アルバムに見る幕末・明治の写真 −上野彦馬撮影局 開業初期アルバム大公開ー 目録」2007年5月発行の13頁に掲載されていたので、最近、撮影場所を調べてみた。同解説は次のとおり。執筆者は長崎大学姫野教授。

7−2 長崎の町から長崎港方面を望む     元治元(1864)年頃
上野撮影局の近くの高台から中島川および町越しに対岸の稲佐側を望んでいる。背後の高い山は形から長崎港口の神ノ島と判断できる。幕末に長崎の町の奥部から海側に向けて撮られた写真として珍しい。

背後の高い山は、形から長崎港口の「神ノ島」と判断しているが、稲佐山から南へ続く尾根の先端「天門峰」だろう。「神ノ島」までは見えない。
撮影場所は、背後の山を「天門峰」とすると、「上野撮影局」あたりからでは遠すぎる。鍛冶屋町の大音寺かと思ったが、先の大光寺背後の墓地高台からの方が景色が合う。
まだ近くから撮影されているようだが、現在では景色の見える所が限られる。

古写真の中央高台左に写る、洋館風の白い大きな建物とその右にある大屋根は何だろう。「小島養生所」と「大徳寺」?(維新の際に廃寺)ではないかと考えたら、撮影場所は対面にある「大光寺」(最後の写真の寺)あたりとなる。
「小島養生所」は、現在の長崎市立佐古小学校の地にあった。建物が「小島養生所」となるなら、違った方向から撮影した貴重な古写真になると思われる。

中央から右手へ下る高台は、現在の海星中学校や活水女子大学が建った東山手の丘だろう。この考えると、つじつまが合う作品である。
現在の写真は、大光寺墓地の中段あたりから、佐古小学校と天門峰を写した。

(2012年12月7日 追 記)
この作品は、「写真の開祖 上野彦馬」産業能率短期大学出版部 昭和50年発行の112頁に作品番号198として掲載されていた。「山の形からみて、寺町からみた長崎の町 慶応年間撮影」とある。大徳寺の屋根も確認できる。
目録解説は、これをまったく調べていない。鍛冶屋町「大光寺」からの撮影と考えてよい。