西泊の石張りの川  長崎市西泊町

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西泊の石張りの川  長崎市西泊町

長崎市内にある三角溝や四角溝の石張りの川。布袋厚氏著「長崎石物語 石が語る長崎の生い立ち」長崎文献社2005年刊25頁の”石張りの川 シシトキ川”は次のとおり。
同著はそのほか、市中央部のいたる所や、浦上地区でも銭座天満宮入り口付近の街道ぞいに現存していることを記している。

…思案橋で電車を降りて「浜市商店街」のアーケードにはいり、中央橋のほうにむかって60mほど歩くと、アーケードの通りがS字型に軽く折れ曲がっている。ここがシシトキ川にかかる「橋」である。ここで右側(電車通りと反対向き)に折れてすすんでいくと、三番目の通りに出たところで、ようやく、川の姿を目にすることができる。
川幅は約2mで、大きな溝という感じにちかい。上流にさかのぼるにつれて、しだいに川幅はせまくなる。写真でわかるように、両脇の板石が斜めに張られ、水量がすくないときに、流れをまんなかに集めるしくみになっている。
このような川は、桶屋町から築町をへて出島橋にいたる「地獄川」(公会堂の裏、および中央公園裏で川底がみえる)、樺島町、館内町などにもある。地獄川の名は、公会堂裏にある市役所別館の場所に、むかし、牢屋「桜町牢」があったところから来ている。

長崎港西部の港口「西泊番所」があった西泊町でも、写真のとおり規模が大きい、石張りの川を見ることができる。西泊バス停後ろ、広い永富パーキングなどの間を流れる川一帯。
西泊町は歴史がある町。「西泊番所跡」「佐藤家住宅」「海底線史料館」なども紹介する。長崎市都市景観HPによる説明は次のとおり。

№52 佐藤邸(国登録有形文化財)  西泊町8-22

佐藤邸は幕末から明治中期にかけて建てられた5棟の建物(主屋、木造家屋、石倉2)からなります。主屋は当時としては貴重なレンガを用いた建物で、倉は長崎ではめずらしい石積りでできており、質倉として利用されていました。幕末から明治にかけて西泊町発展の証しであり、象徴的な建物といえます。

№53 海底線史料館  西泊町22-1(NTTワールドエンジニアリングマリン株式会社敷地内)

西泊町には、明治以来今日まで海底通信ケーブル建設・保守の拠点となっている事業所があり、その敷地内には歴史ある赤レンガ造りの洋風建築が存在しています。この建物は、明治29年に陸軍省臨時台湾電信建設部の電源舎として建築され、110年余りの風雨に耐え抜いてきたもので、現在は「海底史資料館」として一般にも公開されています。
なお、2009年2月23日に経済産業大臣から「近代化産業遺産」の認定を受けました。世界中に張り巡らされた海底ケーブルによって高度な情報通信社会が実現するまでの様々な歴史が刻まれています。