長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1344 中禅寺湖近くの橋
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:1344 中禅寺湖近くの橋
目録番号:4279 猿 橋
〔画像解説〕
山梨県大月市猿橋町に所在する桂川に架けられた猿橋である。猿橋は「木曽の桟(かけはし)」「周防の錦帯橋」とともに日本三奇橋と呼ばれ、昭和7年(1932)に国名勝に指定された。猿橋は橋脚を用いない「ひじ木けた式橋」である。写真は桂川の上流部から猿橋を望み撮影されたものであり、橋の上に多数の人物が写っているが、撮影時期等は不明である。
■ 確認結果
目録番号:1344「中禅寺湖近くの橋」は、次の目録番号:4279「猿橋」のとおり、山梨県大月市猿橋町の桂川に架かる「猿橋」であろう。橋や岩面が違うのは、撮影年代が違い、桂川の上流からと下流からと撮影された写真のためではないだろうか。
HP「木の構造物」による説明と写真は、次のとおり。
「猿橋」とするには、はっきりした確信がまだない。調査は継続中。「中禅寺湖近く」と何かキャプションにあるのだろうか。
猿 橋
<概要> 山梨県大月市猿橋町の桂川にかかる「猿橋」(さるはし)は、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)、徳島県のかずら橋と並ぶ、日本三大奇橋※の一つであり、昭和7年に名勝指定を受けている、その構造形式は、「肘(ひじ)木けた式」と呼ばれ、橋脚がなく、両岸より張出された四層の桔木を支点とし、上部構造を支えているものである。
猿橋の歴史は古く、初期の建築年代は600年頃百済の国の志羅呼(しらこ)が、猿がつながって対岸に渡る姿を見て、これを造ったという伝説があるが、詳細は不明である。文献としては、延宝4年(1676年)には橋の架け替えがあったと記述されている。
現在の橋は、昭和59年に総工費3億8千万円をかけ完成したもので、将来にわたるメンテナンスのことから、H鋼を木材で囲った桔木が用いられている。
※日本三大奇橋は上記の他に、栃木県の神橋が入る場合もある。
また、現存しないものでは、長野県の木曽の桟橋、富山県の愛本刎(はね)橋(ともに猿橋と同様の構造形式と考えられる)があり、これを含めて言う場合もある。