長崎外の古写真考 目録番号:4066 火消し衆(3)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4066 火消し衆(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4066 火消し衆(3)
〔画像解説〕
長梯子、纏、突きポンプを備えた8人の火消し衆(消防士)。それぞれ火消し半纏、防火頭巾、鉢巻きなどを身にまとう。明治時代の火消し衆の風俗。背後は寺院の一角らしく鐘楼もしくは燈台の石垣か。

目録番号:2656 芝増上寺有章院鐘楼(3)
〔画像解説〕
七代将軍家継(有章院)霊廟本殿の入口となる勅額門と鐘楼を南側から撮影したものである。勅額門の柱には龍の彫物があり、増上寺の徳川家霊廟の中では、最も華麗なものであった。将軍霊廟として最後の建築で、これ以後の将軍は、八代将軍吉宗の遺命により既存の霊廟に合祀する形で奥院だけを造るようになる。

目録番号:3017 芝増上寺有章院鐘楼(4)
〔画像解説〕
有章院御霊殿の勅額門(右)と鐘楼である。徳川家霊廟御霊殿拝殿前庭には、勅額門に向かって左に鐘楼、右に水屋と井戸屋形を配するのが典型的な姿である。この鐘楼は、昭和20年3月10日の空襲からは焼失を逃れたが、続く5月25日の空襲で残念ながら焼失した。

■ 確認結果

目録番号:4066「火消し衆(3)」は、次の目録番号:2656「芝増上寺有章院鐘楼(3)」のとおり、東京の芝増上寺で撮影している。鐘楼の造りが同じ。階下の板壁の数(中央7列11段)が合う。
3枚目の目録番号:3017「芝増上寺有章院鐘楼(4)」は、鐘楼を向きを変え撮影しているから、板壁の数は違っている。

”WEB 浮世絵”JIN-仁-の世界 その3  幕末 人間模様 に、「纏を持つ火消衆」の古写真があった。増上寺鐘楼前で同じ纏を持つ纏衆が撮影されている。