長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4005 屋敷と庭園 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:4005 屋敷と庭園
〔画像解説〕
戸塚村(現新宿区戸塚町)にあった旧高松藩主松平頼聡の別邸であろう。明治15年(1882)に東京専門学校(現早稲田大学)を開校した大隈重信が、2年後の明治17年(1884)にこの屋敷を購入。庭を和洋折衷に改装したという。1904年発行の写真5010では池が埋められ芝生の庭園になっている。この写真は明治初年にスティルフリード(Baron Raimund Stillfried Rathenitz)が撮影したものと思われ、大隈が購入する以前だと思われる。
目録番号:5010 大隈重信の屋敷(2)
〔画像解説〕
戸塚村(現新宿区戸塚町)の大隈重信の屋敷である。大隈は出色の洋風建築として評判の飯田町(現九段1丁目)の屋敷に住居していたが、明治17年(1884)に東京専門学校に隣接した旧高松藩主松平頼聡(よりさと)の別邸を購入し移転した。購入すると多少の増築と改装をした。庭も写真4005に写る池を埋めたりして改造している。明治37年(1904年)、アンダーウッド&アンダーウッド社(UNDERWOOD &UNDERWOOD)発行のステレオ写真。
目録番号:5540 大隈重信の屋敷(3)
■ 確認結果
目録番号:4005「屋敷と庭園」の以降の変遷は、次の目録番号:5010「大隈重信の屋敷(2) 」、目録番号:5540「大隈重信の屋敷(3)」のとおり。
早稲田大学構内にある「大隈庭園」説明板は次のとおり。現在の復元された大隈庭園の写真は、HP「万歩計 早稲田大学界隈」及び「大隈庭園の四季」から。
大隈庭園 由来
この庭園は、井伊掃部頭・松平讃岐守の下屋敷にあった和様四条家風の名園を、本学創設者 大隈重信が文人風に改造したものです。没後、邸宅とともに大学に寄贈されました。
1945年(昭和20年)5月の空襲で廃墟と化しましたが、多くの人々の努力により、ほぼ昔の景観どおり復元され、今日に至っております。 早稲田大学