長崎外の古写真考 目録番号:6598 伊豆下田 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6598 伊豆下田 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6598 伊豆下田

目録番号: 639 鎌倉の海岸
〔画像解説〕
海辺に漁村というには少々小さすぎる家並みが見えるが、これらは漁師小屋であろうか?裏手にはさらに棟が続き、遠くには畑のような開けた土地が広がっているようだ。舟は小型で陸に揚げられている。水車は灌漑、精米、製粉に用いられた。

■ 確認結果

ボードインコレクションの目録番号:6598「伊豆下田」と同じ写真は、横浜の英字新聞 ”THE
FAR EAST” Vol.1 No.14 1870/12/16 に、横浜「本牧の屠場」として掲載されている(資料は、九州大学デジタルアーカイブから)。
彩色された次の写真、目録番号: 639「鎌倉の海岸」も、同じ場所である。

日本で最初の屠場は、「元治元年(1864年),当時居留地として指定した横浜の海岸通りに幕府は屠牛場の開設を認めた。これがわが国最初の屠場といわれている」と云う説がある。
また、慶応3年(1867年)5月、外国人に牛肉を供給していた中川屋嘉兵衛が、江戸荏原郡白金村に屠牛場を設立したが、これが日本における近代的屠場の最初であろうともいう。
ブログ「横浜閑話」には、次のとおりの記事があった。

1859年横浜開港により、居留外国人の方が多くなると、当然ながら、牛肉の需要が増え、横浜に屠場ができ、屠場で余った肉を使ったお店が、大岡川の川沿いにずらりと並びました。
そして文久2年(1862年)横浜入船町で居酒屋を営んでいた「伊勢熊(いせくま)」が煮込み式の牛鍋を出し、これが牛鍋の発祥と言われています。