長崎外の古写真考 目録番号:3421 アメリカ公使館からの善福寺

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3421 アメリカ公使館からの善福寺

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3421 アメリカ公使館からの善福寺
〔画像解説〕
「江戸のアメリカ合衆国領事館から撮影された風景」と解説があり麻布善福寺とされていた写真だが、それは間違いで、現高輪3丁目の東禅寺である。安政5年(1858)7月、幕府は日英修好条約を結び、それによりイギリス公使館に定められたのが東禅寺であった。幕末、おそらく外国人の撮影によるステレオ写真である。本写真は3420及び3443に写る山門を横から撮影したものである。

目録番号:3422 イギリス公使館庭のガワーと武士たち

■ 確認結果

目録番号:3421「アメリカ公使館からの善福寺」は、〔画像解説〕によると、現高輪3丁目のイギリス公使館となった「東禅寺」が正しい。タイトルを直してもらいたい。
次の目録番号:3422「イギリス公使館庭のガワーと武士たち」も、それでは「東禅寺」の庭と思われ、「撮影地域:東京」となるのではないか。
「ガワー」とは、デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説によると、次の人物と思われる.

ガワー    Gower, Erasmus M.

1830−1903イギリスの鉱山技師。海軍軍人の父親の任地イタリアで生まれ,イギリスで鉱山学をまなぶ。安政6年(1859)ジャーディン-マセソン商会の社員として来日。幕府,新政府にやとわれ,北海道や佐渡など各地の鉱山調査にあたり,高島炭坑などの近代化にもつくした。明治13年離日。1903年12月16日死去。73歳。