長崎外の古写真考 目録番号: 2617 東京の庭(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 2617 東京の庭(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 2617 東京の庭(2)
〔画像解説〕
堀田家別邸「七松園」である。目録番号4442の藤棚の前に写る橋が、この3枚の巨大な板石からなる橋である。左手に高くそびえる築山や中央の雪見灯篭などに、大名庭園の面影を残している。目録番号2993より水位は低いようだ。

目録番号: 4442 向島堀田庭園(13)
〔画像解説〕
旧佐倉藩主堀田家の向島別邸「七松園」で、明治初年から20年(1887)ころまで堀田家が所有していた。隅田川の水を引き入れた回遊式庭園で、潮の干満によってその景観を変えた。当時、東京の名園のひとつとされていた。各所に配された人物は、堀田家の人々であろう。

■ 確認結果

目録番号: 2617「東京の庭(2)」は、同画像解説にあるとおり、堀田家別邸「七松園」である。
目録番号: 4442「向島堀田庭園(13)」の藤棚の前に写る橋が、この3枚の巨大な板石からなる橋であるので拡大した。
タイトルを他の作品に合わせ、「向島堀田庭園」とした方が良いと思われる。

堀田庭園(浩養園)     『東京今昔散歩』p.74-75より。
浅草の対岸といえば、アサヒビールの金のモニュメントが有名。かつてここに、旧佐倉藩堀田家別邸の名園があった。古くは老中水野忠成の別邸。その後、佐竹邸、堀田邸となった。佐竹庭園、浩養園、堀田庭園、七松園 などの名で呼ばれた。1900年(明治33)、堀田庭園のある敷地を札幌麦酒が買い取り、その一角に東京工場を設置した。また庭園を利用してビヤホールを開業した。現在、アサヒビールのビルや墨田区役所となっている。