長崎外の古写真考 目録番号:393 千明仁泉亭

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:393 千明仁泉亭

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:393 千明仁泉亭
〔画像解説〕
「千明仁泉亭」と読める木札が柱に掛かっている。料亭の名であろうが詳細は不明。鍵型二階屋の中庭、屋内外の人物たちは一斉にカメラを見詰めている。右端にのぞくガス燈が、文明開化期の雰囲気を伝えている。

■ 確認結果

目録番号:393「千明仁泉亭」は、群馬県渋川市伊香保町の「伊香保温泉 千明仁泉亭」であろう。同旅館HP「伊香保温泉 千明仁泉亭」による説明は、次のとおり。

創業500年 伊香保温泉伝統の宿
伊香保温泉 千明仁泉亭 は、伊香保を愛した明治の文豪「徳冨蘆花」が常宿として贔屓にした旅館。海軍少尉川島武男と陸軍中将片岡毅の娘浪子が、愛し合いながらも運命に翻弄される悲劇の物語小説『不如帰』の冒頭を飾る千明仁泉亭は、当時の風情を残す石階段の中に位置し、現在の木造三階建の建物は、建築された大正から昭和の面影と共に静かに佇んでおります。
変わりなく湧き出る豊かな源泉「黄金の湯」と、果てしなく澄んだ空に広がる上州連山や谷川岳などの山並み。古き佳き伝統を守る心はそのままに、昔も今も一期一会の気持ちで、旅人を迎えてまいります。

伊香保温泉「黄金の湯」 
伊香保温泉茶褐色の湯で知られる伊香保温泉の「黄金の湯」は、室町時代から湯治場として発展していた伊香保特有の刺激の少ない硫酸塩泉。
1502年に連歌師 宗祇(そうぎ)が中風の治療の為に千明仁泉亭を訪れ、その効能を「めぐみの湯」と呼んで以来、500年の永きにわたり多くの旅人を癒してまいりました。