長崎の古写真考 目録番号:2129 高鉾島(9)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:2129 高鉾島(9)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:2129 高鉾島(9)
〔画像解説〕
日下部金兵衛、小川一真などの混合写真を収載した、蒔絵大型アルバムの中の一枚。キャプションには201TAKABOKOと記されている。これは小川の整理番号で撮影時期は明治20年代後半。戸町の入り江の小高い丘から長崎港口の高鉾島を望んでいる。向こう側の岬は神崎で先端は神崎鼻、後ろに神ノ島が重なって見える。手前の岬は女神である。ここが長崎湾で一番狭い瀬戸である。江戸時代、この港口を挟んで戸町と対岸の西泊に番所が置かれ、肥前藩と福岡藩が隔年で港の警備にあたった。同じアングルの写真は多いが、この写真の場合は、集落、墓地、入り江の帆船などが鮮明である。対岸には石炭が積まれ、ストックヤードになっている。停泊している船はイサバ船であるが、港外の高鉾島の背後に写っている高島の炭鉱から、石炭を運搬する専用船のように思われる。ここに貯炭された石炭は長崎港に停泊する船舶に提供されていたのではなかろうか。

■ 確認結果

目録番号:2129「高鉾島(9)」の画像解説中、「手前の岬は女神である」は、正しくは「女神」ではない。女神1つ手前の現在、井筒造船所のある岬である。
「港外の高鉾島の背後に写っている高島の炭鉱から」も、「高島」は遠くてこの写真に写っていない。高鉾島の背後に写っているのは、右が「伊王島」、左が「香焼島」であろう。

数多い「高鉾島」関連関作品において、上記の間違った解説は多く見られる。
この項は次の記事など参照。 https://misakimichi.com/archives/1621