長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1070 洞窟の仏像
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:1070 洞窟の仏像
〔画像解説〕
写真外に “”AMISH’KIーTHE GOD IN THE CAVE “”とある。洞窟内の神(仏像)であるが、 “”AMISH’KI “”については未詳。洞窟のある小さな丘の上にも石塔が見える。小丘全体が一つの霊域なのであろう。
■ 確認結果
目録番号:1070「洞窟の仏像」は、横浜で発行された英字新聞 “The Far East “ Vol.2 No.12 1871/11/16 に「鶴間村」(現小田原市)、「小田原城」とともに掲載された写真。次号の Vol.2
No.13 1871/12/1 も「小田原の町」である(資料は九州大学デジタルアーカイブ)。
小田原の一連の掲載作品から考えると、目録番号:1070「洞窟の仏像」の写真外に記された
“AMISH’KI “も、小田原近くにあった旧「網一色村」のことと思われる。
小田原市は、1940年(昭和15年)12月20日、足柄下郡小田原町・足柄町・大窪村・早川村・酒匂村の一部(網一色・山王原地区)が合併して発足した。
山王神社境内にある「旧山王原村の図(及び網一色村)」によると、「網一色村」は酒匂川の河口地区。前は相模湾となる。現在の小田原市寿町・東町あたりとなるようであるが、市街化が進んでいるだろう。
小田原市域における古墳時代の墳墓には、久野丘陵の円墳群と大磯丘陵の麓に点在する多数の横穴墓群などが知られ、一部は市指定史跡となっている(小田原市の史跡から)。
目録番号:1070「洞窟の仏像」は、どこか特定できないが、写真の状況から網一色地区にあったこれら墳墓を利用し、仏像を安置した所と考えてよいのではないだろうか。
地図の緑丸は円墳のようだ。地元での検証をお願いしたい。